2019/02/21 19:46



私がまだ本当に幼い頃、家には鶏がいて、アヒルがいて、猫がいて、ヤギもいた。
このうち鶏は、私が祖母にせがんで夜店で買ってもらったヒヨコが大きくなったものだったが、買った直後はあんなに小さくて可愛かったのに、数ヶ月もするとまさか凶暴な雄鶏になるとは夢にも思わず、だんだん立派になって来たこの鶏は、やがて子供の私をバカにするようになり、私は足をつつかれたり、追いかけられたりするようになって行った。
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一般に動物と言うものは人間の子供をバカにしているところが有り、この点ではアヒルも似たようなもので、羽を広げては威嚇しながら追いかけてきたり、河で泳いでいるとそこへやってきて、頭をつついたりと言うことが多かったものだ。
またサギなども大人であればさっさと逃げるが、子供だとやはり羽を広げて「ギャー」と鳴き、威嚇するだけで逃げない。
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私の子供の頃はこうした生き物達と小競り合いを繰り返しながら、そこで興亡が展開されていたものだった。
ボーっとしていると後ろからそっとヤギが近づき、そして私を頭で押して田んぼに突き落とすのだが、やがては私も学習し、後ろからの気配にわざと気づかない振りをし、近づいて来たらさっと身をかわして、今度はヤギを後ろから押して、田んぼに落としてやったものだ。
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だがそんな彼らだったが、それでも余り見慣れない人が来たときなどは、私の周りをさりげなく巡回し、どこかで私を守るしぐさが有ったものだった。
立派な鶏冠(とさか)の雄鶏などは、いつも「ふん、世話の焼ける奴だ」みたいな顔をしながら私を見ていたものだ。
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そんなある日、小学校から帰宅した私は、いつもなら自分が帰ってくると、真っ先にやってきて足をつつくあの雄鶏が、その日に限ってやってこないことを不思議に思って慌てて家へ走りこんだが、居間で展開されている光景を見て思わず口をつぐんでしまった。
そこでは離れた町に住んでいる叔父さんと、家の家族全員が囲炉裏を囲んで酒を飲み、その囲炉裏には大きな鉄鍋がかけられ、そこで白菜と一緒に煮えていたものがあったが、今朝まで元気だったあの雄鶏が、夕方にはこうして鍋で煮られていたのだった。
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私は当時自分の部屋と言うものがなかったことから、黙ってそこを去ると、裏の山へ上がり、栗の木に顔を押し付け、声を出さずに泣いた。
ヒヨコだった頃のことを思い出すと、後から後から涙が溢れてきて、それは一時間も続いただろうか、やがて私は少し離れたところを流れている沢水のところまで来ると、そこで顔を洗い、着ていたシャツで顔を拭うと、また家へ戻って行った。
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こんなことは当たり前のことだった。
農家で飼われている鶏など、いつかはこうした運命にあって、この雄鶏に限らず家には他にも鶏が飼われていて、そうした鶏は誰かお客さんが来ると、こうして殺され食べられて行ったし、こんなことは初めてでも何でも無かった。
だから私はこうしたことが有る度、ただ黙って口をつぐんでしまうようになった。
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そしてそれから数年後、自転車に乗れるようになった私は、たまには遠出しようと思い、家から10km程はなれたところまで足を伸ばしたが、ひどい山の中で、止められたトラックに何頭もの牛が乗せられていて、その牛をトラックから降ろそうとしている人たちに出会った。
だが牛はどうも降りるのが嫌なようで、悲しそうな声で鳴き、その目からは涙が流れていたように見えた。
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私は何か状況は分からなかったが、でもどこかで一瞬にしてあの雄鶏が殺された時と同じものを、その場の雰囲気から感じ取ったのだと思う。
「ぼうず、どこへ行くんだ」と話しかけるその男達が恐くなって口をつぐんでしまい、自転車をもと来た道に向けると、一目散に家へ逃げ帰ったが、夜、その話を祖母にしたところ、それは屠殺場と言って、牛が殺されるところだと言う話を聞いた。
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以来私は家族にも話してはいないが、基本的には肉を食べたいとは思わなくなった。
また私は今に至っても、こうして動物達が殺されて食べられることに対しては口をつぐんでしまうが、そこには何がしかの後ろめたさのようなものがあるからに違いない。
つまり何も言えないから口をつぐんでしまうしかないのだが、一方で命の大切さを思い、この地上に今を生きる者は全て同志であるとの思いが有りながら、しかし片方で人が牛や豚を殺して食べることを私は批難できない。
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いつも思うことはどんな動物にしても、死にたくはないだろうな・・・、と言うことであり、猫や犬は可愛がられても、同じように牛や豚を思う人間が少ないことを、自分としては気の毒に思うし、また申し訳ないとも思う。
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数日前、たまたま偶然だったが家族とテレビを見ていたとき、ニュースで宮崎の口蹄疫の報道があり、その際畜産農家の人が、牛の殺処分がかわいそうだとコメントしている場面があり、それを見ていた娘が何気なく、どの道殺される牛にとっては、口蹄疫も肉にされるのも同じではないかと呟いたのを聞いた私は、一瞬何かの違和感をおぼえた。
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それはそうだが、でも違う・・・。
そして私は心のどこかで「しまった」と思った。
私は今まで自分が言えずに口をつぐんできた事で、子供に何か大切な事を伝えられなかったのではないか、一瞬そんな不安が頭の中をよぎった。
即ち人間は優しい心も大切だが、その反対に生きていくときには植物であれ、動物であれ何がしかの「他」を殺していかなければならない現実があり、この2つの事は相反しながら1つなのだと言うことを、体験として示してこれなかったような気がしたのだ。
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私は私が口をつぐんできた部分のことを子供に教えられなかった、自分が怯えて避けてきた事が、こんな形で結果として現れて来るのか・・・と愕然としたものだった。
生き物を殺すと言う事が一体どう言うことなのか、そしてそれをしなければ生きていけない人間とは何か、自分が生きているとはどう言うことなのか、言わば人間の基本に当たる部分を、私はずっと口をつぐんで逃げてきてしまった。
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さて私はどうやってこれを挽回したら良いものか・・・。
20年以上前、日本国内だが、あるインド人の青年に出会った事があった。
彼は私に大豆から肉と同じ触感の「大豆肉」を作る研究をするために、日本に来ていると語っていた。
牛を一頭食べられるまでに成長させるには、最低でもその7倍のトウモロコシを必要とする、それだったらそれと同じ量の大豆で肉が作れたら、牛も殺さなくて済むし合理的だと笑う彼の横顔が、今宵ほどに何故か思い出される・・・・。
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(本文は2010に執筆されたものを掲載しています)