2019/02/23 18:52



今の時代にこう言う話をすると女性陣からボコボコにされそうだが、何分「昭和」と言うレトロな時代の話ゆえ、そこはどうか大目に見てやって頂けたると有り難い・・・。

漆を塗っている工房である「塗師屋」では下地、研ぎ、上塗りが別々の部屋で行われ、そこでは各工程の職人達が作業をしていたが、用事がある時は下地の職人が研ぎの部屋へ行く場合も有り、反対に下手な下地でもしていようものなら、血相を変えた研ぎの女職人が下地職人の部屋へ乱入してくる事もあった。


「誰や、こんなガタガタの下地をしたのは!」

「俺や、どこがガタガタや言うんや」

「こんな物研げるか、見てみぃ!」

そう言って研ぎ途中の盆を持って、その下地をした職人の所へ行こうとする研ぎ職人、しかしその手前では別の下地職人がたまたま塗師小刀を研いでいて、近くには仕上げ砥石が置いて有ったのだが、頭に血が上っている女の研ぎ職人にはそれが目に入らず、思わず砥石をまたいで歩いて行く・・・。


これを見ていた小刀を研いでいた下地職人が、今度は大声でどやす・・・。

「こら、女が砥石をまたぐな、砥石が割れたらどうする」

おそらくこの職人は別の職人を援護する目的も有ったのだろうが、この言葉にカチンと来た研ぎの女職人は、もはや制御が効かない。

「女がまたいだくらいで割れるよむない(良くない)砥石を使こーとるから、仕事が下手なんやないかぁ」

「何やと、女は不浄なもんやから、昔から砥石をまたいだら駄目やと決まっとるんや」

「おお、不浄やと、その不浄なもんからみんな生まれて来るんやないか、それとも何か、おめー(あなた)は木の又からでも生まれて来たんかい!」

「・・・・・・・・」


流石にこれを言われると男の下地職人は返す言葉が無い。

「まあ、いいわ、どこがガタガタなんか見せてみぃ・・・」

と言う事になって行くのである。

 

だが塗り職人の世界では、確かに昔から「女が砥石をまたぐと砥石が割れる」と言う話は口伝に拠って伝承されてきた経緯があり、この背景は女の性器の形が割れている事を隠語に含んでいるのだが、それとは別に例えば山岳信仰や離島などの神聖な土地には女が入れない場合が有り、小刀と言う職人に取っては命とも言える物の神聖さを表現した背景が存在したのかも知れない。

 

元々神道と女の相性は極めて悪く、穢れと言うものの大きさは人が死んだ時より、子供が生まれた時の方が大きいとされ、それゆえ死人が出た時より身内に子供が生まれた時の祓いが厳しいのであり、この要因は「血」に有る。

 

すなわち、子供が生まれる時には母親の胎内から多くの血が流れる。

この赤い血を神道は極端に嫌うのであり、ここから総じて経血のある「女」は不浄と言う事になって行ったものと思われる。

 

随分と失礼な話だったのだが、私が弟子修行中の頃には、研ぎの仕事は全て女の職人と弟子だった。

そして彼女らの中でも古参の職人は新しく入った女の弟子には、この砥石をまたぐと割れる話をして聞かせていたもので、その際「女は不浄なものだから・・・」と穏やかな顔で話していたものだった。

 

男の不甲斐なさは男ゆえ知り、女の不浄は女ゆえに知る・・・・。

何と謙虚な在り様で、物を大切にする慈愛に満ちた姿ではなかったか・・・・。

そんな事を思うのである。

 

男女雇用機会均等法、男女同権、ジェンダー、性差別と言う言葉が蔓延する今日、これらの言葉の中には男が男を知らず、女が女を知らない底の浅さが透けて見える様な気がする・・・。