2019/02/27 07:01

表題から何かエロい話かも知れないと期待された方もおいでる事と思うが、ご期待に沿えず申し訳ない。

今日は輪島塗の「布着せ」(ぬのぎせ)の話をさせて頂こうと思う。


素地を補強させる為に漆で寒冷紗(かんれいしゃ)や麻の布を巻いたり、張ったりする事を輪島では布を着せると言ったが、布をかけるとも言いながら、布を着せると表現したイメージ力は中々風情が有る。

だがこの布着せ、輪島塗の歴史の中で常に絶対性を持った技法ではなかった。

むしろ数の点から言うなら、布着せされた輪島塗の方が少ないかも知れない。

大量、低価格製品の殆どは布着せされてはいなかったからだ。


この1回の工程を省くくらいでそれほど価格が抑制できたのかと思われるかも知れないが、実は布の厚みと言うのは、例えば製造されて30年くらい経過した輪島塗では、そこに厚みとして残っているのは布が半分、上塗り漆が半分しか残っていないものだ。

あの地の粉を使った厚い下地はどこへ行ったのかと言うと、研ぎ整形のときに削られ、経年劣化に拠って水分が無くなると、厚みとしては残れないのである。


それゆえ布を張った時には、それを張った部分と張られていない部分に段差が生じ、これを「惣身」(そうみ)と言う荒い粉を混ぜた下地に拠って埋める作業が必要になるが、この惣身が厚いと後年、製品になってからの劣化が激しく、製品強度を落とす。

従って段差を埋めながら、厚くない事が求められるが、結果としてこうした状況から惣身だけは埋まらず、輪島塗の下地は有る意味「布着せ」の段差を埋める為の工法とも言えるのである。


布を着せていない輪島塗は段差が生じないから綺麗に見えるが、強度の点では少し劣る。

また納期に余裕が無い場合は砥の粉下地だけでも、綺麗に整形すれば立派な輪島塗に見える為、好景気で忙しい時ほど、豊かな時代ほど布を着せていない輪島塗が多くなるが、一方極端に景気の悪い時代でも材料の抑制から布を着せない漆器が多かった。


そしてこうした布を着せていない輪島塗の事を、裸下地(はだかしたじ)、或いは「ストリップ」と呼んだのだが、これがなぜそう呼ばれたか説明する必要はあるまい。


輪島塗の職人や塗師屋の親方は上塗りが仕上がった製品を見るだけ、触っただけで布が着せられているか否かを判断できたのだが、これは簡単な事だ。

軽くて厚みが感じられないのに、布の段差が無ければ「ストリップ」であり、重みや厚みが感じられれば布着せされた物と判断できたのであり、この布の段差は上塗りが仕上がっても見ように拠れば見える。


「いやー、綺麗な仕上がりの椀ですね・・・」

「あっ、いあやそれはストリップでして・・・」

「ほう、急ぎ物ですか?」

「全く今日言えば、明日にもくれと言う仕事でして・・・」

親方同士のこうした会話が昔は良く聞かれたものだった。


更に、輪島塗では寒冷紗の代わりに新聞紙や「漉し紙」(こしがみ・漆を漉す吉野紙)や、和紙などを張ったものも作られたが、これらは寒冷紗を使うよりは漆の量が半分くらいで済む為、材料が手に入りにくかった昭和6年から昭和30年、昭和60年代に流行したもので、その効果の程はストリップと全く同じだったが、何も着せていないわけではないと言う、中ば自己弁護の気持ちからそう言う技術も発展した。


時々古い漆器を修理していると、こうした寒冷紗の代わりに新聞紙を着せた漆器も出てくるが、何も着せないよりは例え新聞紙でもと思う親心を少し感じてしまう。

材料を削らなければならなかった中で、何とかしようとした親方や職人の姿が垣間見えるような気がするものである。


ちなみにこうした新聞紙の着せ物だが、面白い事に新聞紙の厚みはしっかり残っていて、やはりそれは寒冷紗よりは薄いが、下地の厚みのようになくなってしまう事は無いのであり、ついでに上手に剥がせば書かれている記事が読めるものも存在する。

 

布や新聞紙は「実」で有り、塗料、液体である漆はどこまで行っても「虚」なのである。