2019/03/06 08:15

物の姿には「真」「行」「草」が有るとするのは東洋思想だが、これを欧米風に直すと「秩序」「中間」「崩壊」となる。

つまり日本の茶道などで使われる道具の区分は、そんな特別なものではなく、人間なら誰しも持つ基本的な形態だと言う事だ。

 

元々中国の書体区分から始まった「真」「行」「草」の形は平安時代には日本に定着し、更に「華道」、と言っても「立花」の事だが、これに浸透し、やがて茶の湯に浸透してから、あらゆるものにこの思想が伝播していったが、「真」とは基本的なもの、一番最初に確立されたものを言い、これに反発する自由を考えると、これが「草」になり、「行」はこの中間、折衷案だと言う事になる。

 

それゆえ「真」「行」「草」の区分には「行の真」や「行の草」などと言う細分化が発生し、現代では「真の草」などと言う訳の解らない事を言う者も出てきているが、基本的に偏りが出るのは中間である「行」のみであり、これ以上細分化すると、官位を更に細分化したような形態が発生し、それがどうなるかは現代の日本の在り様を見れば明白である。

 

漆に措ける「真」「行」「草」は造形に拠る区分、色に拠る区分、技法に拠る区分が存在し、この内「金継ぎ」などで使われる「麦漆」(むぎうるし)は「行」の区分技法に相当する。

 

漆の乾燥形態は3種ある。

一つは常温で湿度と温度で乾燥する基本乾燥、二つ目は化学反応で乾燥する形式、三つ目は焼付け乾燥技法である。

常温乾燥は基本であり、一番最初に技法が確定している為、「真」「行」「草」の区分では「真」に相当する。

輪島塗で「真塗り」と言う表現が有るのは、それ以外との区分が存在する為である。

 

これに対して行ってしまうと帰ってこれないような技法、歴史的に新しい技法が「焼き付け塗装」だが、解り易い例で言うなら「南部鉄器」などの鉄瓶は仕上がったら最後に藁に漆を付けて拭き、それを火にかけて塗膜を形成する。

100度以上に漆を焼いて乾燥させるのであり、カメラなどに使われる漆塗りも、基本は漆焼き付け塗装であり、これが「草」に相当する。

 

そして「行」に相当するのが化学反応乾燥に拠る漆塗りであり、例えばお盆の裏などに塗られる「叩き塗り」、「ひび塗り」金継ぎの「麦漆」などは添加剤と漆の化学反応で「乾燥硬度」を増加させる効果を持っている。

 

通常の上塗り漆に牛乳や卵の白身を混ぜて攪拌し、これを塗れば真塗りでは得られない強度が発生し、真塗り作業直後に上から牛乳を付けた刷毛でなぞってやれば、表面塗膜がひび割れた状態で乾燥し、これも大変大きな表面強度を持つ。

 

そして過去「真」「行」「草」があれば、どこから入れば良いかの問いには、「行」から入れとなっている。

つまり中間から入れば、そこから真を目指すもよし、草を目指すもよしで、「行」の中には「真」や「草」の要素も含まれるからである。

 

輪島塗でも乾燥形態区分で言うなら入門者は「行」から、化学反応乾燥から始まる。

これはゴミがかかっても製品に影響しない為だが、「叩き塗り」や「ひび塗り」は輪島塗の弟子の仕事だったのであり、これを特殊技法とするのは誤りである。

 

話が逸れてしまったが、金継ぎに使う麦漆は、「行」の技法の一つだと言う事である。

 

残念ながらここで時間が無くなった。

次回からいよいよ破断陶器の麦漆接合の開始となるが、これだけでも記事2つでは収まらないかも知れない。

寛容の精神で読んで頂けたら幸いです。