「二つの需要」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/03/20 05:19



農産物に措いてはいったん生産が始まると、その供給量は固定され、その年の生産量は決定されたものとなるが、例えばキャベツを生産したとして、このキャベツを1個500円で販売することを目的とした場合、生産農家は1500万個のキャベツを市場に供給するものとして、キャベツ1個の値段が500円になるものとする。
 
ところが実際生産してみると、その年は豊作で2250万個のキャベツが収穫された場合、価格の下落は増えた50%分の生産を支えきれず、キャベツ1個が250円に下落するのでは無く、実際は1個100円にまで下落するのであって、その結果80億円の予定だった生産農家の総収入は24億円に留まり、この為に農産物に関しては豊作で有るほど収入は減少する。
 
このような現象はどうして起こるかと言えば、キャベツの価格が低下したからといって、いきなり需要が増えないからであり、キャベツが安くなったからといって、では今までの倍の量のキャベツが食べられるかと言えば、それができないからである。
 
価格がa%下落したとき、需要がb%増加したとすると、その比率b/aは、価格が1%下落したら需要が何%増加するかを表し、これを需要の「価格弾力性」と呼ぶ。
キャベツの価格は500円から100円、つまりは80%も価格が下落したが、これはその価格まで落ちなければ、50%も増加したキャベツの総量が消費者需要の飽和状態を緩和できなかったと言うことだ。
 
この年のキャベツの価格弾力性を計算してみると、0、625となり、「1」より小さくなってしまう。
ここで言う価格弾力性「1」と言う数字は、価格が1%下がれば需要が1%増加することを差していて、この場合であれば農家の収入は減少しないが、価格弾力性が「1」を下回ると、加速的にその消費財の価格は下落していくのであり、こうして価格が下落しても需要が伸びにくい物の需要を「非弾力的需要」(inelastic)と言う。
 
その一方例えば新発売のパソコンなどは、その当初から需要の価格弾力性が「1」を超えている。
このことから家電製品や自動車などは価格が下がってくれば、需要は当初の予想以上に上昇し、販売収益も増加する事になるが、こうした消費財の需要を「弾力的需要」(elastic)と呼ぶ。
 
従って、需要と言っても大まかには2種類が存在していて、その一つは始めから需要の上限があるもの、そしてもう一つは価格が下がっていけば、それに応じて需要が拡大していくものとが、この社会には存在している事が分かる。
それゆえ、もし国家が経済対策を講じるとしたら、こうした2種類の需要に対して同じ1つの経済対策では、どちらか一方の需要は、更に厳しい状態に追い込まれると言う実情がある。
 
また現実的な事を言えば、農産物に対する経済対策は外から、つまり海外から入ってくる価格の安い農産物に対して、「保護主義」以外に対策は無く、この場合「弾力的需要」、いわゆる工業生産でその国家の繁栄を築こうとするなら、「非弾力的需要」「農業」は切り捨てる方法がまず1つ、農業を保護して工業生産収益の減少には目を瞑る方策が1つ、そして両方を上手く誤魔化しながら、その都度国際社会に理解を求めていく方策の3つがあるが、いずれも大変厳しい道が待っていることになる。
 
そして「弾力的需要」では市場価格を重要視して行かないと、それはどこかの時点で破壊曲線が訪れる事になる。
すなわちパソコンを1000万台作って、これを10万円で売ろうとしたが余り売れなかった。
では8万円に値下げしたらどうかと言うことになり、これで全て完売したと言うケース、これは市場価格の健全性を持った販売と言うことになる。
 
しかしこの近年日本政府が行ってきた補助金制度だと、これは他の消費財需要に対して市場価格の健全性が無く、結果として未来の需要を現在に措いて使ってしまう傾向を持つ。
エコカー減税、家電エコポイント制度などの政府補助事業が終了した時点で、日本の自動車業界は大不況、家電メーカーも韓国のサムスン電気と比較しても、大きく体力を失ってしまった現実が現れるのは当然の結果と言える。
 
その上で更にこうした補助事業の実質効用を鑑みるなら、政府補助金制度はデフレーションを加速させてしまった、若しくは未来に措けるデフレーションを深化させてしまった側面も持っている。
 
消費者はエコカー減税があるので自動車を買った、エコポイントが付くからエアコンを買ったのであり、ここに企業が対前年比と同じ売り上げか、少なくとも対前年比の売り上げ低下率を、10%以内に抑えたいとするなら、政府補助金分か、それに近い価格の値引きをしない限り、政府補助金が支出されていた時期の売り上げを確保できなくなるのであり、ここに「弾力的需要」はその弾力性ゆえに、更にデフレーションの深化と言う事態に直面するのである。
 
日本の企業がこれまで利益を出してきた背景は、基本的な企業努力としてリストラを行い、あらゆる無駄を排し、まるで雑巾を絞るような努力で、少ないながらも利益を確保して来たのであって、売り上げが伸びたからではなかったのだが、そこに政府の補助金制度が始まり、ちょっとしたバブルになったことから、あたかも景気が浮揚したように見えただけで、現実には何も改善されていなかった。

現在の一見した好景気、雇用の改善は税収を遥かに上回る国債の発行と、それを無効化していく「破綻システム」に拠ってもたらせたものであり、言わば政府が無理やり仕事を作って、それに金を払っているだけ、ニューディール政策と同じなのだが、ニューディールとの決定的な差は、中央銀行が独立性を失っている点に在る。

世界秩序や経済の公平性、信用よりも国情を優先した通貨政策の結果が第一次世界大戦、第二次世界大戦だった事に鑑みるなら、世界は経験的に中央銀行の独立が世界経済の基礎である事を学習していなければならないはずだったが、今日それが省みられない現実は、未来に措いて大いなる禍(わざわい)を予見させるものであり、この薄く弱いが確実な影を払拭しようと、更に通貨政策の整合性を無視すれば、訪れるものは静かに、しかも確実にやってくる「破綻」である。