2019/03/24 06:02

国連の規定による国家とは、「国民」が存在し、「領土」が確定され、「政府」が存在することをしてその要件を満たすが、この要件は第三国をして「認証」されなければ効果が無く、従って国際社会はこうした要件を満たす地域を、全て国家と看做すかと言えば、そうではない。
政治的、軍事的、領土的、民族的な観点から自国に不利な地域の国家的独立は認めず、自国利害に関係の無い地域、または自国がそれによって有利になる地域のみ、主権国家として承認している。
 
だがその一方、こうして既に一度「国家」として承認されていながら、国連条項を満たしていない国家、若しくは事実上要件が満たされていない国家も存在するが、ではこのような国家は国家として看做されないのかと言うと、それはまた違う。
こうしたことから国家と言うものは一度それが認証された後であれば、国連条項の「国家」の概念が失われていても、国家として承認し続けられると言う矛盾した側面を持っている。
 
そして大変興味深いことではあるが、20世紀までの国際社会に措ける「国家要件」の崩壊は「他民族の侵略」、「革命」「戦争」などによって政府が崩壊、領土が侵略されることによるものだが、これが21世紀ともなれば自国内部の経済政策や、政策によって「政府」が存在しない状態となる現象が現れ、それによって事実上、主権国家要件を失う国が現れてきた。
 
世界は今政治制度的な観点から、2つの国に注目しているが、その一つは「ベルギー」、そしてもう一つは「日本」である。
「ベルギー」は現在「政府」が存在していない。
いわゆる国連が規定する国家要件の1つである政府が無い状態なのだが、この状態は昨年6月に行われた総選挙後、2011年1月7日現在で208日間となっている。
 
ベルギーは工業的には豊かな北部オランダ語圏と、どちらかと言うと貧しい南部のフランス語圏に別れるが、前者をフラマン系と言い、ベルギー全人口1000万人の内、60%がこの文化圏に属しているが、後者のフランス語圏はワロン系と言い、こちらは全人口の30%を占めている。
少し乱暴な区分ではあるが、簡単に言うならフラマン系とは「ゲルマン民族」であり、ワロン系とは「ラテン民族」の事だと思って頂いても構わないだろう。
 
そしてこうした国内を2分する言語文化圏を背景に抱えながら、言語が違う文化圏でも、政治的には近い思想を持つ政党が多数ひしめくベルギーの政党は、少数乱立政党状態となり、また経済政策や政策を巡って対立が深まっていることから、最低でも5つから7つの政党が連立しない限り、政権を維持できない状態となっていて、こうした背景から連立交渉は捗らず、「無政府」状態となっているのである。
 
ベルギーのこうした状態の基本的な原因は南北対立にあるが、経済的に豊かな北部は自分達が支払った税金が、何もしないで補助金として南部救済に使われることに対し、大きな不公平感を持っていて、そこで地方への権限移譲を推進して、地域ごとの独立採算制に近い政治体制を望み、これに対して貧しい南部が反対していると言う大まかな図式がある。
 
今回の無政府状態も208日を日々更新し続けているが、この以前にも2007年には、194日間の無政府状態が存在しているのは、こうした根深い経済的対立が横たわっていたからに他ならない。
 
だがここで不思議だと思うことは無いだろうか。
「どうして政府が無いのに国が動いているのか」、素朴な疑問としてこうしたことを思うが、このベルギーの無政府状態は、大変な混乱であると同時に、我々がこれまで信じてきた国際政治が一種の幻想、神話だったこともまた物語っているように私は感じる。
 
ベルギーでは現在の時点で経済的な混乱や、治安維持に関する混乱が起こっておらず、市民生活は平常どおりなのである。
つまりベルギーでは政府が無くても国民の権利は保護され、経済も動いていて、何らの問題も起こっていないことを考えるなら、「政府」とは一体何なのかと言うことである。
国連の規定である「政府」は現実には政治的な観点であり、結局のところ国家として、また国民としての要件とはならないのではないかと言う疑問が浮上してくる。
 
元々地方に対する権限委譲が進んでいたベルギーは、その上にEUへ政治的に依存し、またこうした状態が長く続けば、大きな財政赤字を抱えていることから、いずれは国家的な信用不安を迎える恐れもあるが、少なくとも数百日の単位で政府が存在しなくても国家は存在し続け、また経済活動も影響が無い事を鑑みるなら、一体「政府」や「議会」と言ったものは何だったのだろうか。
 
我々はその教育の中で司法、立法、行政と言う3つの権利が、それぞれ干渉しないように独立している政治体制、国家権利体性を理想として教えられてきたが、この概念は基本的に国民生活に直接の影響を及ぼすものではなく、言わば権利の濫用を防止する一つの方策に過ぎなかったことを、認識する時期に来ているのではないだろうか。
 
つまりここで言うところの「三権分立」は、管理機構の不正防止以上の効力を持っていない、と言えるのではないだろうか。
いわんや議会、政府が無ければ国民の生活は窮乏し、国家は存続し得ず、民主主義も守れないとしたこれまでの概念は、ではベルギーの現実の前に、「蟻の一穴」どころか大型重機で堤防が破壊されたくらいの衝撃が有るように感じる。