「敏腕女スパイ」・2 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/03/26 05:48

 
女スパイと言えば、007の映画に出てくる容姿端麗な、若い美人スパイを思い浮かべる人も多いかも知れないが、情報とはいつも男から取るだけとは限らず、また本来敵の動きを探る時は、味方にもスパイを送り込んでおかなければ、その情報の客観性が無いものであり、さらには重要な情報を取るためには鳥瞰的視覚が必要でもあることから、それなりの人間的経験や、人の表情を察知する能力が必要となってくる。
 
この観点からすれば、松尾多勢子のように一定以上の年齢に達し、それで教養もあり人生経験、人間観察に優れている女と言うものは、実に素晴らしいスパイとなるわけで、やがて謹慎蟄居していた岩倉具視と接触した多勢子は、その高い情報収集能力を買われ、おのずと岩倉のために働くようになって行った。
 
スパイとしての多勢子の活躍は大変なものだったに違いない。
京都を自由自在に動き回り、冷静な分析に基き、要所を押さえた彼女の情報は 一度はついえたかに見えた岩倉に、再度野心の炎を燃え上がらせたに違いない。
岩倉は多勢子がもたらす正確な情報のおかげで、敵も味方からも一度に情報を集めることが可能だったのであり、その情報こそが岩倉の力の源だったのである。
 
だがこうして活躍していた松尾多勢子にも次第に幕府の追っ手が迫ってくる。
以前のことだが、生野で挙兵した尊王の志士たちを匿った(かくまった)ことが発覚してしまったのである。
どんな優秀なスパイでも、それがスパイと判明してしてしまってはもうスパイ活動はできず、また幕府から追われた多勢子は一時長州藩邸に身を潜めるが、それでも混乱から身の危険が生じ始めた為、信州伊那谷へ帰ってしまう。
 
そして静かな山里には幾度かの春が巡り、平和な余生を送っていた多勢子だが、そこへ明治新政府を樹立した直後の、岩倉具視の使いだと言う者が訪ねてくる。
何と岩倉は多勢子に、岩倉家の「家政取締り」を頼みたいので上洛して欲しいと言ってきたのだった。
 
新政府樹立直後の岩倉は時間が無く、家の管理が不行き届きになることを恐れ、多勢子に家を仕切って欲しいと言うのだ。
こうした岩倉の有り様は、もしかしたら間接的に自分にとっては最大級の働きをしてくれた多勢子に対する、感謝の気持ちも有っただろう。
だがそれ以上に岩倉は、多勢子のその経営能力と、人心掌握に長けた部分、さらには庄屋の妻としての実務経験、そしてその深い教養に絶対的信用を置いていたからに他ならない。
 
また多勢子は明治政府樹立に関して、岩倉のスパイだった女でもある。
当然使用人たちも油断できる相手ではなく、また誰もが逆らえないような年代の、しかも老獪な手法も熟知している相手である。
ただそこに立っているだけで使用人たちは黙って仕事をしたに違いない。
そしてこの場面で多勢子を使う岩倉は、やはり「明治の奸物」と言うに違わぬ男と言える。
 
多勢子はこうして1868年、再度上京し岩倉家を取り仕切ったが、多勢子の役割は新政府関係者の調整役にまで及び、それゆえ多勢子は「女参事」、「岩倉の周旋老婆」とまで呼ばれるようになるのであり、こうして岩倉たちが樹立した新政府がようやく軌道に乗り始めたことを見計らった多勢子は、二年後、岩倉に暇(いとま)を願い、残念がる岩倉を置いて、信濃伊那谷へとまた帰って行くのである。
 
旅ころもかさねきて見む山むろの
             千とせに匂ふ花のさかりを
 
隠居後、伊那谷で悠々自適の生活を送っていた多勢子が詠んだ歌である。
晩年になっても女をほのかに漂わせる美しい歌であり、それでいて清々しい気持ちにさせられる。
老いて尚、かような歌を詠む老婆・・・。
惜しい、のどかな山に置いておくには余りにも惜しいと思わせる老婆である。
 
さて50歳を超えた女性たちに一言。
女スパイをやるなら、50歳からが適齢期らしいですが・・・。