2019/03/28 05:44

消費は経済にとっては重要な要素であり、消費が無ければ経済は成立しない。
だがその一方で消費は、「熱力学第二法則」で言うところの、エネルギー劣化を引き起こす。
つまり石油などが燃やされて、それで湯が沸かされたとき、空中に放出された熱は回収できず、同じように酸素が燃焼されて二酸化炭素になった場合、これを酸素に還元するためには、更に多くの酸素やエネルギーが必要になり、源エネルギーだった石油は元には戻らない。
 
結局人間が消費するエネルギーは消費すればするほど、次は人間が使いにくいエネルギーへと劣化して行くのだが、これを「熱力学第二法則」と言い、この観点からするなら、消費は抑制されればされるほど、長期的に見れば人類の将来に貢献することともなるのである。
 
現在地球は、本来地球が持っている人類の生存を許容できる力、つまり地球が養える人類の数を22・441%超過した形で回転している。
それゆえ乾燥地帯が発生して食糧危機が起こってくるのであり、人類が生存するために、他の多くの生物達が存亡の危機に立たされる現実が起こってくる。
 
そして消費と言う事では、例えば野菜ならその野菜だけが消費だと考えるかも知れないが、実はそれを運んだり、野菜を生産するためにも、多くのエネルギーが失われていることを認識しておかねばならないだろう。
 
virtual water」(バーチャル・ウォーター)と言う考え方があるが、これは農産物や商品の生産に使われた水を、間接的に消費者が消費したものとして換算する「仮想の水消費」のことであり、農産物の輸出入でもこれは換算されて考えられるべきものである。
 
日本は大量の農産物、木材などを輸入しているが、これによってその輸入された分について、日本国内の水消費は抑制された側面を持つ一方、農産物や木材を日本に輸出した国にとっては、大変な水の消費を起こしているのであり、もしアフリカから農産物が輸入された場合、実に日本国内の30倍から400倍に価値換算される水が、その農産物を生産する為に使われていることになる。
 
日本が海外から輸入した農産物の内、例えば穀物5品目、畜産品4品目だけを取って試算してみても、日本は1年間で627億㎥の「仮想水」を輸入していることになり、これは日本国内の1年間の水使用量の70%にも相当する。
水使用量を極力抑えた洗濯機を使いながら、その影で多くの農産物を輸入する日本は、自分の周囲だけは資源を節約したように見せかけながら、その実地球的には大量の水を消費していることを、認識すべきかも知れない。
 
2000年まで、日本の農産物輸入の60%がアメリカからだったが、近年は中国からの輸入が急伸し、その中国では黄河流域の砂漠化が進行している。
黄河流域の砂漠化の原因の全てが、日本へ輸入される農産物生産の為に発生しているとは言い難いが、砂漠化対策ODAや民間の緑化活動資金援助などは、こうした「仮想水」消費のための補償費用だとする中国当局の意見に、真っ向から反証できない日本の実情が何とももどかしい。
 
またここに流通と言うものも、そこから利益が発生する以上、やはり消費と看做さなければならないが、意外と大きな消費となっているのが実は運搬である。
food mileage」、(フード・マイレージ)と言う考え方があるが、これは「輸入相手国別食料輸入量×輸出国から輸入国までの運搬距離」で求められ、単位としてはt・km(トン・キロメートル)と表示される。
 
1994年、イギリスの消費者運動家「TimLang 」(ティム・ラング)によって提唱されたものだが、農産物の生産地から消費地までの距離を重要視し、輸送エネルギーもまた消費であり、環境にかかる負担を目に見える形に現そうとしたものである。
この方式で計算すると、これは農林水産政策研究所の試算だが、2002年の段階で日本の「フードマイレージ」はおよそ9000億t・kmとなり、これは日本国内の年間貨物総輸送量に匹敵している。
 
そしてこれをアメリカや隣国の韓国と比較するなら、これらの国の3倍以上が輸入の際の輸送の為に消費されていて、国民一人当たりの数値でも、日本人はアメリカ人の7倍の輸送コストが消費された農産物を口にしている事になる。
 
品種別で見るなら穀物輸送が51%、油糧種子が21%、この2品目だけで既に全体の70%を超え、輸入相手国ではアメリカが59%、ついでカナダ12%、これに中国からの輸入が急激な追い上げを見せているが、アメリカとカナダだけでも70%を占める割合であることを考えるなら、現在日本国内で声高に叫ばれている「地産地消」の掛け声は、単に自己顕示欲の塊と化した地域リーダーの「町おこし運動」の為より、むしろ地球規模でのエネルギー消費を意識したものと考えるべき意味合いを持っている。
 
消費が無ければ経済は停滞する
しかし消費が伸びればどこかで人類は自分の首が絞まってくる。
こうして見るなら、「不景気」とはある種人間がその歴史から新たに身に付けた、経済的本能と言うものが為せる調整機能であり、経済的窮乏が紛争、戦争を引き起こすのは、人間にとっての「宿命」と言うものなのかも知れない・・・。