「光が闇を作る」・2 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/04/14 06:56

「みんな頑張っているんだよ、そんなことが発覚したら寄付が減るかも知れないし、ボランティアも疑いを持って見られてしまい、結局この地域の復興は遅れる」
「今は小さなことは我慢しなければいけない」
こうした言葉は被災者たちからあらゆる正当な言葉を奪い、その上で行政や報道に協力的だった者は大きく取り上げられ、やがて彼等もまた大きなステップアップを図って行くことになる。
その代表格が兵庫県南部地震で活躍した「辻元清美」首相補佐官である。
 
行政や政治はこうした災害時には殆ど対応する能力が無く、従ってNPOなどのボランティア団体を頼って行く事になるが、こうした団体は一時的に移譲された行政の窓口となることから、時の権力者となる傾向を持ち、そこではその団体の求心力に心血が注がれる一方、被災住民達に独裁的な在り様を示していくことになる。
 
これは地名は秘匿するが過去の震災でも、その災害復興事業の予算申請や、家屋建設の補助事業で、特定の国会議員が影響力を持つNPO団体の代表が行政機関の窓口を一括担当し、そこから補助金の15%が報酬としてこの代表の手元に支払われる仕組みになっていたケースが存在し、これも女性だった。
 
尚且つこうしたケースでは現在の官房長官のように「弁論大会優勝経験者」と同じく、言葉を使わせれば到底地域住民がこれに対抗すべくも無いような口達者がNPOの代表を務めており、そして行われるものは極めて非現実的な見せ掛けだけの復興である。
被災者はいつまでも避難所、仮設住宅暮らしをしているのに、その傍らでは歴史的な建造物の保護と称して、さしたる被害も無い個人の家の蔵の修理などが大学生のボランティアまで使って為されているのが現実だ。
 
そして被災地域からは、これから美しい場面、感動的な場面、頑張っている場面の映像が数多く配信され、それによって自身の厳しい現実が少しは慰められる視聴者との表面的な美しさのやり取りの影で起こってくるものは、綺麗に復興された町並みの片隅で起こってくる金に対するモラルハザード、さらには補助金によって一時的には経営が改善された震災長者の没落と、地域経済の崩壊である。
 
だがこうした在り様は恐らく今回の東北の地震災害でも同じ道を辿るように思う。
安政江戸地震後のビラなどには大ナマズに酒を注ぐ木材業者、同じく大ナマズに芸者接待をしている大工などが印刷されたものが多く残っている。
神戸でも多くの人がこの地を去らねばならなかったにも関わらず、そこに見られるものは外に対する観光業に偏重された復興だった。
 
また能登半島地震や中越沖地震でも同じように観光業の観点から「風評被害」を恐れ、そこにあらゆる理不尽、不平等、そして政治的な言論の封殺が存在し、そこから生活感覚の無いボランティアから移行した地域リーダーや、同じく一般庶民感覚から乖離した教職員定年退職者たちと、やはり親から生活資金を貰っている大学生達が唱える、従来の道徳観を失った町の在り様が顔を出し、いまや震災ではなく経済的破綻を眼前に見ていることを鑑みるなら、表面的な美しさや感動は、またそこに存在する生きている人間の在り様を、駆逐してしまうものだと言う認識も必要では無いかと考える。
 
震災復興の大前提の前に小さな事実が蔑ろにされた時、その地域を次に襲うものは綺麗な言葉の影に隠れた「モラルハザード」であり、海外からはこうした混乱時に秩序が維持された日本の在り様をして評価は高いが、その実こうした秩序を維持しているものは、声を上げられない弱者の犠牲の上に成り立ってきた緩く、また暗い全体主義である。
そしてこれが「日本」そのものなのである。

※ この記事は2011年3月に執筆されたものを再掲載しています。