「地震予知の歴史」・1 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/04/22 05:24

古来日本では地震と雷の区別が曖昧だった。
従って例えば鎌倉時代までの記録に「大雷」と書き記されたものの中には、地震のことを現しているものも少なくない。
また常に戦乱がつきものの世界の歴史には、初めは恐らく気象現象を予測するために発展しただろう記録などが、次第に地震の予測も含んだものとなって行った形跡が見られ、中でも中国の記録は2000年以上の膨大な歴史の厚みを持っていたが、残念なことに第二次世界大戦中に起こった共産主義革命によって、その記録は全て失われてしまった。
 
だが1970年代に入って頻発してきた中国の地震に対し、当時の指導者である「毛沢東」(もうたくとう)は国家プロジェクトとして「地震予知」の目標を立て、1975年には2度の大きな地震を予知し、その内の1回は地震発生前30分に全ての人民の避難を完了させるほどの精度だった。
この時中国が地震予知に用いた方法が「宏観地震予知」(こうかんじしんよち)と言う方法であり、これは地震が起こる前に観測される不思議な現象を総合的に判断し、それによって地震を予知する方法だった。
 
一躍地震予知に関しては世界のトップに立った中国、しかし以後は地震の予測が外れ、また毛沢東の片腕だった「周恩来」(しゅうおんらい)が死去し、更には毛沢東自身もこの世を去るに至って、「そんな非科学的なことで・・・」と言う声が高まり、こうしたプロジェクトも新指導者達によって否定され、やがて省みられる事もなくなっていった。
このような経緯から振り返って2008年5月に発生した「四川大地震」を鑑みるなら、毛沢東たちの試みが僅かでも継続されていたらならと悔やまれてならない。
 
そして日本に置ける地震予知も、やはりそこには戦乱と共に発展してきた気象予測と同時並行で研究がなされてきた経緯があり、「楠木正成」(くすのき・まさしげ・鎌倉末期の有力武将)の「通機図解」(つうきずかい)などは雲の形から気象や地震を予知する方法であり、同じように天体観測による星の見え方によって地震を予測していた「真田幸村」(さなだ・ゆきむら)、「今川義元」(いまがわ・よしもと・戦国時代の武将)の軍師「太原雪斎」(たいげん・せっさい)なども地震予知に関心を示していたとする記録が残っている。
 
またこうした戦乱時の戦略上の必要性とは別に、一般大衆や公家なども多くの地震の前触れ現象を記録しているが、例えば安政期(1854年ー1859年)の商人の記録などは、「後世の人に地震の前にはこうした不思議なことが起こることを知らせるために記しておこう」とあり、商人でありながら後世の「公」の利益を意識した考え方は、その気概の大きさに感嘆すべきものがある。
 
更に大正期、この頃になると「小玉呑象」(こだま・どんしょう)と言う「卦」、つまりは占いだが、彼のような占い師が古来からの記録を研究し、地震予測を始めるが、彼は「火天大有」(かてんたいゆう)と言う「卦」が立ったことから、1月の時点で夏に関東が火の海(関東大震災)になることを予測していた。
だがこうした「小玉呑象」らの存在も、やがてひたひたと忍び寄る戦争の足音の前に、世間を騒乱してはならないと言う理由から統制が加わり、ここに日本の地震予知も「口をつぐんだ」状態になっていく。
 
やがてそうした第二次世界大戦が終わり、今度はいよいよ自由にものが言える時代を迎えた日本、しかしそこで日本に入ってきたものは「科学」と言う「合理性」であり、ここで地震予知などと言うものは「非科学的」と言うレッテルが貼られ、地震予知は「怪しい占い師」や「大言壮語の預言者」の領域となっていく。
 
しかし江戸末期から明治、大正の頃には東京大学の教授ですら研究していた地震予知の脈々とした流れは、終戦と共に「末広恭雄」や「吉村昭」「弘原海清」などに受け継がれ、また膨大な資料が残された「関東大震災」発生前の前兆現象の記録は、1970年代の中国で用いられた「宏観地震予知法」を、日本で少なからず普及させる事となった。
 
そしてこうした時期、やはり日本で最初の民間地震予知研究組織「日本地震予知クラブ」が結成される。
代表は「亀井義次」氏、彼は地震が起こる前に発生する前兆現象で地震を予測できないかと考え、資料を集め、また当時地震予知では第一人者と言われる人物がこのクラブに参加していたが、このメンバーの中には聖書から地震を予知するとした者や、古文書から地震を予知するなど、現代社会では若干疑問に思わざるを得ない者の参加があり、やがて亀井氏が奥さんの看病のため代表を引退してからは分裂状態となり、今日でもその名称は残っているが、クラブの活動自体は本来よりは変化したものとなっているようだ。
 
亀井氏は地震予知こそが最大の防災だと考えていた。
死の直前まで地震の前兆現象を書いた小冊子を作り、それを全国の消防署へ配布しようとしていたと言われている。
一方こうした亀井氏達の方向とは別に1980年代末から地震予知の分野で彗星の如く現れてきたのが「串田嘉男」(くしだ・よしお」氏だが、彼は元々天文学の分野で著名な人だったが、FM波の変調からほぼ70%の確率で地震予知を始めるようになり、こうした動きに日本全国の大学研究機関も共同研究を始める。
 
                                                   「地震予知の歴史・2」に続く