2019/04/23 06:31



親は偉大だ、どう有っても追いつくものでは無い。
また私のこうした状況から、葬儀は村の人たちが集まって相談してくれ、全て準備してくれた。
90歳になる爺ちゃんまでもが家で何某かの手伝いをしてくれ、私に力を落とさぬようと声をかけてくれた。
私は傲慢だった。
いつも自分が地域の老人の手伝いをしている、助けてやっていると言う思いがどこかに存在してたに違いない。

だが現実にはこうした自分が遠くから見守って貰っていたことに気が付いた。
言葉など意味は無い、行動こそが全てだと言う思いもまた一面の事実ではあるが、それが正しいわけでは無い事が今は理解できる。
「言葉は力だ」、今はそう思う。

私はこのブログで生物が生きることは大変厳しいものだと説いて来た。
それゆえ生き物はまた全力で生きる義務を負っていることも、繰り返し書いてきたように思う。
これは今でも間違っているとは思わないし、我が思いは「生きよ、生きよ、生きよ」だ。
だがどうやら私はどこかで利口になろうとして人間を見ていなかった、何か大切なものを忘れたまま生きていたに違いない。

このブログは実は1000の全くランダムな話を書いたら終わろうと思っていた。
だから基本的には最後に書く文章が決まっていてこれまでの記事があったが、その最後に書こうと思っていた文章はもはや意味を為さなくなってしまった。
母親の苦しみさえ救ってやれない者が、どこに人や社会に意見するに資することがあろうや、もはや私は自身の言葉を持たない。

我が本質、自身の正体はみすぼらしい格好で裸足で首を吊った、我が母親のあの惨めな姿にこそにあり、私はどこまで行ってもこの範囲を出ない。
ゆえ、これまでに多くの知己を得、励ましの言葉を頂きながら、まことに勝手な事で恐縮ですが、ブログ記事はこれを持って一つの区切りとさせて頂きたく思います。

以後は時々皆さんの記事を訪ねさせて頂くことのみとし、記事の更新は先の予定無きものとさせて頂きますが、ブログそのものはこのままの状態で継続と言う形になります。
ご連絡のございます場合はゲストブックに書き込みを頂ければ幸いですし、もし個人的に私の住所氏名、連絡先を知りたいと言う方には、その個人に限ってお知らせ致します。

では方々、お健やかにてご活躍のございますよう、また世界は狭くいずれお会いすこともあるやも知れません。その時はよろしく。

最後に私が大好きな「ペットショップボーイズ」の「ゴー・ウエスト」を聞いてお別れです。
有難うございました。

※ 本文は2011年に他サイトに掲載したものを再掲載しています。