2019/05/01 08:54

元号の改めは天皇の崩御、政変、大きな災害や国家的な危機、天皇家内部抗争に対する和睦条件に拠る禅譲など、基本的に祓いの結果から来る「新」の意味合いが強く、その点からすると「平成」から「令和」に改変された時に見られた、いかにも薄いお祝いムードは、いささか怪訝な感が否めない。


普段から天皇家代々の御影を飾って、毎朝それを敬っているならともかく、この時に限って前天皇に感謝しているなどと言いながら、涙を流している茶髪パーマの高齢女性などの報道を見ていると、何かが気持ち悪い。

どこかで恐ろしく情緒不安定で、先に希望の無い中で刹那的に生きている有り様が浮かび上がってきているようにしか見えない。


天皇家の有り様は実に伝統的であり、また質素な中にも荘厳なものを感じるが、問題は日本の民衆であり、あちこちで「あやかり」が横行し、しかもチャチな美話が多すぎる。


中国で鄧小平が亡くなるおり、彼は自分のための一切の追悼行事を禁止し、国民に平常の生活と仕事を止めて弔意を現す事を控えさせたが、これは中々出来る事ではない帝王学の極意だった。

この謙虚な飾らぬ姿勢こそが国民に真の尊敬を抱かせるものであり、今般日本国平成天皇のご退位の姿は、まさにこうした帝王学の頂点を自然体で為すような、ものだった。


しかし視聴率と言う幻想を失った日本の報道各社の有り様は、こうした天皇家の意向を全く理解しない「あやかり商法」、既に日常的に報道と言われる程の事も報道していないマスメディアが、砂糖に群がる蟻のように卑しい姿を晒しだし、力を失い先の無い情緒不安定な国民が何か刹那的にイベントにすがっているようにしか見えなかった。


兼ねてより健康上の理由からご退位を希望されていた平成天皇が、2019年4月30日ご退位され上皇となられ、それまで皇太子だった「浩宮徳仁」親王が天皇に即位された。

なお、これに伴って元号は「平成」から「令和」と改められた・・・。

100年後の日本の近代史にはこうした言葉しか残っていないだろう。


それゆえ、今の自身の気持ちには価値が有るのだが、こうした記述の末に、「当時の国民はご退位とご即位にあやかり、饅頭やラーメンに令和の名を付け、日本伝統の(あやかり商法)と、イベントやフェスティバルと勘違いした馬鹿騒ぎしてこれを祝った」と追加記述されるか否かは、今の日本人の礼節に対する意識の如何に掛かっていると言えるだろう。


いや、こうした記述が残るのはまだ有り難い事かも知れない。

明治22年1889年に発布、翌明治23年に施行された大日本帝国憲法のおりは、「憲法の発布」を「けんぷの法被(はっぴ)」が天皇から下し措かれたと、その意味すら解らない状態で、各地でぼんぼりが飾られお祭り騒ぎだった様子が記されている。


そんな格好の悪い事は残すなと言う事で、今の馬鹿騒ぎが記述が残されないなら、これは明治時代より閉塞された社会であり、万事が万事美しい事や希望しか見たがらない令和元年の日本の国民は、自身の愚かさすら残せないかも知れない

 

これは100年後の教科書に、国民の馬鹿騒ぎが記されているより、遥かに恐ろしいと事と言えるだろう。

 

平成から令和へ改元された故、この時の日本の姿の一部を記録させて頂いた。