2019/05/07 05:27

昔、越中(富山県)は砺波の郷(となみのごう)の北端に喜助と言う若者が住んでいた。
早くから両親を亡くし、それでも1人で田畑を耕し、気立ても良い喜助は村の者からも好かれておったが、昨年の梅雨の頃に叔父の仲立ちで嫁をもらい、その嫁の名前は「かよ」と言った。

かよはまた喜助同様気立ても良く働き者で、その上に大そう「えちゃけな」(可愛らしい)嫁だったので、喜助はこのかよを事の外大事に思うておったが、そんな或る夏の事、喜助が野良仕事から帰り、夜さりの飯(夕飯)を食べておった時のことだった。
「喜助どん、どうやらおりゃ()子供が出来たようや、産んでもええか」
かよは少し恥ずかしそうにうつむくと、そう喜助に尋ねたのだった。

突然の事に一瞬我を失った喜助、粥の入った椀を置くのも忘れ、「本当か」とかよに聞き直すが、かよはまた恥ずかしそうに黙って頷く。
「かよ、かよ、本当か、おらに子が出来るのか」
「かよ、おらは父親になるのか」
喜助は今度は椀を囲炉裏に置くと、嬉しそうにかよに近寄った。

「おりゃ、喜助どんの子を産んでもええか」
「そんなものええに決まっとる」
「これからは体を大事にせなならんぞ」
「明日からは野良はおらだけでやるから、かよは動かんでええぞ」
「喜助どん、子が産まれるのはまだ先のことや、かーか(母親)はそれまでは動かなあかんと言うとった」
「そーかー、そっでも無理したらだめやぞ」
「そーかー、おれの子か・・・」

すっかり安心して寝息を立てるかよ、その隣で子が出来たことを知った喜助は、どこからともなく力が湧き出てくるような思いがして、その晩は朝方まで眠ることが出来なかった。

次の日の朝、昨夜からの昂揚した気持ちを抑えられない喜助は、いつもより早く野良仕事に出かけたが、この時期は2度目の田んぼの畔や土手の草刈時期で、すかすかに研いだ鎌は切れ味も良く、謡の一つも出てきそうな勢いで、仕事はどんどん捗っていく。
喜助は「おらに子ができるんだぞ」と、空に向かって叫びたくなるのを抑えながら草を刈って行く。

やがて土手の外れに有る桑の木の下まで来たときのことだった。
刈った草の下に何と丸々としたマムシが一匹、姿勢を低くして尻尾を地面に叩きながら、喜助を威嚇しているでは無いか・・・。
「おのれマムシが・・・」
喜助は思わず鎌を振りかざす。
百姓にとってマムシは天敵とも言えるもので、その存在を許せばいつか自分が噛まれて死ぬことになる。
それゆえマムシは見つけ次第殺さなければならなかった。

しかし余りにも丸々としたそのマムシは良く見てみると、どうやら腹に子を宿しているようにも見えた。
マムシは2、3年に1度子供を産むが、普通の蛇のように卵で産まれてそれが孵化するのではなく、卵は親の腹の中で孵化してマムシの形で産まれて来る。
そのためマムシが子を産む8月から9月ごろ、夏に胴体が少し太いマムシは子を宿している場合があるのだが、どうも眼前のマムシが子を宿しているように見えた喜助の鎌はその勢いを失う。

「お前も子が産まれるのか・・・」
喜助の脳裏には、ふと、家の近くで里芋畑の草むしりをしているかよのことが一瞬よぎった。
喜助は暫く考えたが、振り上げた鎌を下げると黙ってその場を避け、少し離れたところからまた草刈を続けた。
次に見つければ殺さなければならないが、今日は生き物を殺したくない・・・。
喜助はどこかで清々しい思いを感じながら、土手の草を刈って行くのだった。

そして次の日、前の晩、嬉しさの余り眠れなかった事もあって、いつもより半時も遅くなってやっと目を醒ました喜助は、隣にかよの姿が無いことに気付き辺りを見回したが、囲炉裏の前にはやはり粥が火にかかっていて、その粥がもう焦げ付きそうになっているにも関わらず、どれだけ呼んでもかよは姿を現さず、少し心配になった喜助は外に出て探してみたが、かよの姿はようとして見つからなかった。

「かよー、かよやーい」
喜助は必死になってに身重の女房の名を呼び続けるが、かよはこの日を境にまるで消えてしまったように行方知れずとなってしまった。

それから4日後のことだった。
もう盆も15日と言うことに気付いた喜助は、何を思ったか自分の家から一番遠いところに有る、あのマムシを助けた桑の木の近く、自分が刈り取らなかった草薮の中へ分け入った。
草を踏んでいくと、そこにやはり草が立っていない場が見え、また有ってはなら無いことだったが、どこかで見覚えの有る着物の柄が見えてくるのだった。

かよは盆に飾る「盆花」を握ったまま、その体中にマムシの斑紋そっくりのみみず腫れを起こし、しかも既に肉の一部が腐って口からは蛆虫が顔を出している姿で見つかった。
あの晩、桑の木の近くに「盆花」が有ることをかよに語ったのは喜助だったが、どうやら盆も近付いてきたことから、かよは眠っている喜助を起こさずに、すぐ帰るつもりで桑の木の近くまで来たようだった。

                                                          「盆花」・2に続く