2019/05/07 05:30

「喜助よ、良く見よ、今の私がそしてかよの姿が仏の姿だ・・・」
「森羅万象あらゆるものの根本に在る者は、その理を動かす事は出来ない」
「なぜならそれは自分自身だからだ」
「そしてあってはならない不幸、苦しみ、悲しみもまた存在し、それはしかし八面在るものならその一面でしかない、しかし人間だけがここから逃れられない」
「ゆえ、娑婆に産まれて最も辛く厳しいのが人として産まれることであり、人として生きることだ」

「喜助よ、お前は奢っていた」
「自身に子が出来ることをして、これを喜ぶあまり自身の業に背いてしまった、すなわちマムシを助けてしまった」
「お前はそこで一瞬だがおのれの業を忘れ、そのことがお前の先の世界を変えてしまった」
「因果応報は悪しき事のみに起こるのではない」
「良きことに在っても、そこには明と闇の道が分かれておって、例え良きことに在っても、それは理によって応報を受ける」

「おれがマムシを助けたことが仏の道に背く事だと言うのか・・・」
「そうだ」
「殺生するは罪なりは仏の心では無いか」
「そうだ、しかし人間は生きると言う大前提を負っているなら、殺さなければ自分が殺されるとしたら、明日も生きるためには殺さなければならない」
「そしてそれが出来ないときは大切なものを失い、自身すらも殺される事を望む覚悟がなければ情けなどかけてはならず、そもそうした覚悟の無い情けをまた、奢りと言うのだ」

「おれが間違っていたと言うのか・・・・」
「そうではない、この三千世界に間違いも正しいも有ろうはずも無い」
「ただそれが在るだけのことだ」
「おれは、おれは自身の奢りでかよを殺し、自身もこうして地獄に在るのか・・・」
「それも違う、人であるなら誰もお前と変わるものでは無く、それゆえ人として産まれることが一番苦しく辛いことなのだ」
「仏はそうしたあまたの者が、自身の心によって苦しむ姿を泣いておられる」

「その者の苦しみを自身の苦しみとし、いつしかその者が全ての方角を見渡し、そこに自身の在る事を知るで在ろうことを願っている」
「喜助よ、マムシに謝られて気が済んだか、決して気が済むことがないのは、お前はマムシが悪い訳では無いことを、どこかで自身の内にその因果があったことを感じているからだ」
「お前はマムシが許せないのではなく、自身の愚かさ、人に在りながらまるで仏の如くに思ってしまった傲慢さを知っているからだ」
「そして、それゆえお前は地獄に在る」

「喜助、これで分かったなら、もし望めば私はお前を極楽に連れて行こうと思うが、何とする・・・」
「おれは、おれは・・・・、極楽には行けない」
「そうか・・・・」
「だが、喜助、お前にはまたすぐに会えることが私には分かっている、もはやこの地獄はお前に取って地獄ではなくなるだろう」

「喜助どん、私はどれだけ待っても、またあなたが生きる時代に生まれ、そしてまたきっとあなたを探し出し、一緒になる」
「かよ、おれも、おれもきっと・・・」
喜助の目からは止め処もなく涙が流れた。
それを見届けた地蔵菩薩とかよは、また光を放ちながら暗黒の闇を上へと登っていき、やがて周囲は元の血の池地獄に戻った。

「菩薩さま、喜助はこれで助かるのでしょうか」
地獄から上へ登りながらかよは地蔵菩薩に訪ねる。
「喜助とお前は1000年の後にまた巡り会う、そして1000年など瞬きする間も無い」
「それに地獄も極楽も同じものだ」
「その者にとってどう見えているかに過ぎず、もはや喜助には血の池地獄など存在せず、あの場を極楽として行くだろう」

「菩薩さま、ありがとうございます」
「礼には及ばない、落ちて行くのも自身なら、それを救おうと思うのも自身なれば、我が姿形、その思いはまた喜助なり・・・・」

農作業で田んぼの畔の草刈をしていたらマムシを見つけ、このようなことを考えながら作業をしていました。
そして私もマムシは殺せなかった・・・。

※ 本文は2011年に執筆されたものを再掲載しています。