2019/05/12 05:47

そしてこの時期の日本だが、日本もまた理化学研究所の「仁科芳雄」博士が、1940年の段階で核兵器開発を陸軍に進言しており、1941年には日本海軍も京都帝国大学理学部「荒勝文策」教授に核兵器開発を打診している。

日本の核兵器開発は大日本帝国陸軍の「二号研究」と、同じく大日本帝国海軍の「F研究」の2つが存在し、1938年からウラン鉱脈などの採掘が行われたが、結果として日本は臨界に必要な量のウランを手に入れることができず、日本海軍が最後の頼みとしたドイツからの輸送も、その輸送途中でドイツが降伏し、結局ウラン235の入手が困難になり、1945年5月15日には東京大空襲を受け、ここに核兵器開発の研究は絶望的となった。

その後大阪、金沢、山形などの地方に拠点を移して核兵器開発を継続する案も出されたが、1945年6月には陸軍が開発中止を決定し、同じく1945年7月には海軍も開発中止を決定する。
こうした事から鑑みるに、日本も核兵器開発に関して、決して遅い段階から始まっていた訳ではないことが分かるが、その価値を認識できていない軍上層部や政府の有り様が、結果として開発に対する執念を欠き、やはりその危機感から必死になっていたアメリカのユダヤ系科学者たちの情熱の前に、色あせたものでしかなかった印象がぬぐい去れない。

日本の核兵器開発はウランの調達と言う、ごく初期の基礎段階から出るものではなかった。
また同じ同盟国で有るドイツが核兵器開発を打ち切ったのは1943年のことだった。
同年2月23日、「ノルスク・ヒドロ社」の重水素工場が6名のノルウエー人によって爆破され、これによって重水素の確保が困難になった為であり、ヒトラー総統の6週間以内に実戦配備可能な兵器開発と言う条件によって核兵器開発は中止決定となる。

一方このような国際情勢の中、ソビエトはどうしていたのかと言うと、現実にはソビエトの「イーゴ・クルチャトフ」等によって核分裂技術では、1939年の早い段階から最高水準の技術と人材を持っていたことになるが、やはりここでも政治的指導者であるスターリンが核分裂の重要性に気づいておらず、1943年にスパイ活動から手に入れたイギリスの機密文書から核兵器の重要性を知ることになる。

更には「ゲオロギー・フリョロフ」からヨーロッパやアメリカの科学雑誌から、核分裂の論文が消えている事を指摘され、これで西側諸国が核兵器開発を進めている可能性を感じたスターリンはその重要性に確信を持ったとされているが、核兵器の本質は分からずとも、こうした周囲の情勢からその重要性を嗅ぎ取るなどは実にスターリンらしいあり方と言え、こうして1943年から核兵器開発に力を入れ始めたソビエトは1949年、核実験に成功し、世界で単独の地位を確保しようと目論んだアメリカの野望はついえる。

1945年7月16日、このような国際情勢の中、核兵器開発では一番乗りを果たしたアメリカは、ついに3個の原子爆弾の製造に成功し、アラモゴードの砂漠で人類初の原子爆弾実験が行われ、次いで1945年8月6日午前8時15分、日本の広島へ濃縮ウラン型原爆「リトルボーイ」が投下され、同じく8月9日11時2分には、長崎にプルトニウム濃縮型原爆「ファットマン」が投下される。

だが現実にはこの時既に核兵器の開発はその意味を失っていたはずだ。
1943年の時点でドイツが核兵器を持つことは不可能になり、この情報は1944年、ヨーロッパ戦線でドイツの敗戦色が濃厚になって来たとき、既に連合国側がつかんでいた。
即ちドイツの脅威に対して始められた核兵器の開発は、ドイツが核兵器開発を中止した時点で大義を失い、連合国、特にアメリカは存在することのないドイツに対する恐怖と言う、言わば幻を恐れていたことになる。

それゆえこうして大義が失われ、今度は核兵器と言う、人類全体の脅威となる存在が実現し始めた1944年から1945年5月頃、盛んに核兵器開発を勧めたユダヤ系の科学者達は、今度は手の平を返したように核兵器の開発中止を訴える。
がしかし、1945年アラモゴードで行われたトリニティの核実験結果を知ったアメリカ政府は「この世に神が存在するなら、それは我々だ・・・」を目指すことに傾いて行く。

「アメリカ・イズ・ナンバー1」を世界に示すためにはどうしても原爆の実戦実験が必要だった。
既に敗戦は時間の問題でしかなかった日本だが、ここまでアメリカをコケにした黄色い猿にはそれなりの罰が必要だったし、ソビエトや中国に対する牽制としても意義が有った。
アメリカは次に台頭してくるであろう共産主義に対抗すべく、世界の神で有る必要があった。

広島、長崎の惨状は原子爆弾を投下した当事者であるアメリカをしても衝撃だった。
文字通り予想を上回る成果だったが、ここにその当初はユダヤ系科学者達の潜在的な恐怖心から始まった核兵器開発は、ついに科学者達の手を離れ、政治の世界に君臨していく事になる。

広島、長崎に原爆が投下されて以降、アメリカはその核兵器技術を独占しようと考え、同盟国であるイギリスでさへも核兵器開発から締め出そうと考えるが、そんな中意外な早さで1949年、ソビエトが核実験に成功し、ここに世界はイデオロギーを巡って東西の勢力が対立する「東西冷戦時代」へと突入し、こうした対立構造のそれぞれを担保するものが「核兵器」となって行った。

                           「虚なる力・下」に続く