2019/05/12 05:48

しかし現実には核兵器を使用すれば自国も敵国も破滅する事から、ここにその力に対する恐怖から均衡が発生する。
この事を「相互確証破壊」と言い、現在核兵器を「抑止力」とする考え方の根幹をなしているが、その実態は恐怖からくる幻想の均衡であり、この点で言えば核兵器の重要性を認識すればするほど、核兵器は使えなくなって行き、やがて核兵器は「持っている事が意味を為す」と言う現象を引き起こした。

つまり国際社会に対して核兵器を持っていると認識させれば、それが実態を伴っていなくても成立するものとなって行ったのであり、この意味では実際に核兵器を持つ事と、ハリボテ核兵器でも他国が持っていると認識するなら、同じ効果を発揮することになったのであり、本物を使った場合は自国も存在が危うくなるとしたら、それは兵器の役割と言うよりむしろ、精神的役割への依存を強めたと言え、現在の国際的な核兵器の概念は「宗教」に近いものと言える。

実に人間とはおかしな生き物だ。
その開発を急がせたものは、自分が知っているからこそ抱いた根拠のない恐怖から始まり、今に至ってもそれを自分が持っているからこそ恐怖に駆られ、そして均衡が保たれると言う、まったく存在しないものに対する恐怖によって、この世に「核兵器」が生まれ、存在しているのである。

アメリカ政府に核兵器の開発を急がせたユダヤ系科学者たちは、その開発が進み、なおかつドイツが核兵器の開発を断念した時から、核兵器開発中止を求めるようになり、広島、長崎の惨状を知ってから、その反対運動はどんどん広がっていった。
だが1939年頃、政治家に核兵器の重要性を強く説いたのは各国の科学者達であり、その罪の大きさを広島、長崎の惨状で知った彼らは、ソビエトの核兵器開発責任者である「イーゴ・クルチャトフ」をしてすらも、核兵器反対を強く思わせることになったが、もはや手遅れであり、人類はこうして20世紀になって「新たな神」を作り出してしまったのである。

そしてこうした国際的な動きは戦後の日本にも、おりに触れて影響を与え続けている。
「日本も核兵器を持つことを検討する時期が来た」と言ったのは「麻生太郎」元総理だけではない。
1964年、中国が核実験に成功し、ここに中国が核保有国となったが、この5年後の1969年、当時の内閣総理大臣「佐藤栄作」は内閣情報調査室を使って、極秘裏に日本が核兵器開発可能か否かを調べさせている。

なおかつこうした調査だけでは無く、1969年、日本が「核拡散防止条約」に批准した直後、日本の外務省幹部が当時の西ドイツの外務省高官を箱根に招き、核兵器保有の可能性に関して意見交換している事実が有り、これに関して現在の外務省はその事実を認めるとも認めないとも、態度を明確にはしていないが、こうした会合が有った事を当時の西ドイツ外務省関係者は証言している。

第二字世界大戦で敗戦国となり、その後非核三原則を厳守しているはずの日本は、中国が核兵器を保有した事から、ここでも存在し得ない恐怖に駆られたに違いなかった。
今や世界各国が保有する核兵器の総量は、この地球を20回以上焼き尽くす事ができる量にまで達している。
だが、この神の力とも言うべき大きな力は、本来人類がコントロールできる範囲を超えているものであり、またその存在を支えているものは「実体のない恐怖」であり「虚」だ。

原爆が投下された時、広島市の当時の人口が35万人、実にその内推定で14万人が死亡し、長崎の当時の人口は25万人、その内推定で15万人弱が死亡しているこの事実をもたらしたものは「存在しない恐怖」、「虚」だ。
そして人類と言う生物は全て「虚」から始まって「現実」を創り出すが、この「虚」が恐怖から始まっているものは、常に人類に大いなる災いをもたらすものとなることを、我々は忘れてはならない。

ルーズベルトに提出された書類に使われたアインシュタインの署名、アインシュタインは「シラード」に署名を貸した直後から核兵器開発には疑問を呈していた。
そのため「マンハッタン計画」で彼は外され、どちらかと言うと核兵器開発反対派としてアメリカ政府から監視されていた。
第二次世界大戦が終わり、日本を訪れたアインシュタインはこう言う言葉を残している。

「日本は世界でもっとも尊い国です・・・」