2019/05/15 05:37

「あー、面白くないのー」
「これは座主さま、何がそんなに面白くないのでございましょうや」
「平安の世が過ぎて、今や鎌倉に幕府が開かれてからと言うものの、どうもこの延暦寺の力が蔑ろになったようでな・・・」
「そんな、めっそうもない、延暦寺と言えば国寺にて、日ノ本随一の権威にございますぞ」
そう言って延暦寺座主に酒を注ぐ出入り商人の「近江屋」だが、どうやら先ほど鎌倉で流行している新興仏教の話をしたのがまずかったようだ。

鎌倉幕府が開かれてから何かにつけて鎌倉、鎌倉で、相対的に京都の権威が低下した事は否めないが、それにしても仏教まで鎌倉の新興仏教に持って行かれるとは思わなかった延暦寺、何も努力せず権威の座にあぐらをかいたのではこれも致し方無き事にて、何とかここらで一発逆転、ひとやま当てたいと思いながら来たが、中々妙案は無かった。

「近江屋、何か良い知恵は無いものかの・・・」
「良い知恵と申されましても・・・私如き者では・・・」
「あっ、そうだ、新しい神様を作ってみては如何ですか」
「新しい神とな」
「そうです、鎌倉でも御利益の有る御札が流行していましたから、何か御利益の有る神様を作ってそれで売り出せば行けるのではないでしょうか」
「ほー、そうしたものか・・・」

こうして出入り商人の入れ知恵で新しい神を作ることにした延暦寺、その創設にあたっては、できるだけ民衆が知らない神を持ってきた方が良いだろうと言うことになり、いつもは食堂の片隅に掛けられているインド伝来の「死神」をベースに、毘沙門天(びしゃもんてん)と弁財天(べんざいてん)をくっつけた「三面大黒天」なる神を作り上げ、実はこの神こそが大国主の本地神だと言う根拠のない伝説まであちこちで流布させ、それで出来上がったのが「大黒天」である。

鎌倉時代に入って、日本の仏教は鎌倉で興って来た新興仏教に民衆の関心が集まり、既存仏教の延暦寺などは活気のなさの象徴、まるで老害の如くに思われていた。
そこでこうした現状を打破しようと、延暦寺が打ち出したのが「三面大黒天」であり、その誕生の経緯は「近江屋」こそフィクションだが、その他は殆ど冒頭のような流れで始まって来たものなのである。

そしてどちらかと言えば京都周辺から、この大黒天信仰は始まっていくが、創設説話のいい加減さは様々な民間信仰の混入を許容し、室町時代には大ヒットを飛ばす事になった。
「世間こぞりて一家一館に之(大黒天)を安置せずと言うことなし」(塵塚物語)と言われるほど、大黒天は大繁盛する訳である。

だが、この大黒天のもとになった、平安時代に日本に伝わったらしい、寺院などの食堂に掛かっていた異形の神とは、実は「マハ・カーラ」と言い、「大死神」の意味である。
「マハ」は「一切の」とか「全て」を意味し、「カーラ」は時を意味する。
この事から「マハ・カーラ」は「大時」と言う意味になるが、時はやがて全ての森羅万象を呑み込むものなれば、それが表すものは「0」であり、即ち「死」を意味する。

「破壊と創造」の神で有るインドのシヴァ神、その破壊方向が「マハ・カーラ」であり、「マハ・カーラ」もシヴァの一部なのだが、この神の姿は真っ青で、三眼六臂に炎の髪を持ち、手には人間や血の盃、剣を持ち、絶対的な憤怒で四方を睨みつけている。
文字通り「死神」である。

ではこうした死神がどうしてインドで信仰され、また日本に入ってきたのかと言うと、これは一般的にどの民族でも同じ傾向が有るが、人間は「生」に対する絶対的な力と同じように、その反対を意味する「死」に対しても同じように畏れを持ち、「生」はこれを享受するべく祈り、「死」はこれを遠ざけるべく祈る、正負等価観念を持っている。

この事から「祟り大きなものはまた、その反対も大きい」と言う思想が生まれ、為にマハ・カーラのような絶対的な死神と好を通じ、その恩恵から命を長らえようと言う信仰が生まれるのである。
「生きる力」と「死を免れる力」は同等か限りなく等しい。
生か死しかない人間に取って、生きる力と死を免れる力は殆ど同じものであり、色々と善行を為さねば得られぬ「正の力」より、取引によって得られるなら「負の力」の方が身近に、しかもリアリティを持って感じられるのではないだろうか。

「孔雀王経」の中には「大黒天」を次のように記している。
「むかし、ウシ二国の東にシャマシャナと言う棄屍林(きしりん)、つまりは死体を棄てる林があり、大黒天はこの林に鬼神など一族を連れて遊行し、大黒天の力を求める者と毎夜、取引をしていた」
「して、その取引の対価とは何かと言えば、人の血であり肉であり、その血と肉の量の大小に応じて、長寿の薬や姿が消える薬などが人に分かち与えられた」

実に闇の取引の香りがプンプンだが、どこかでは人間が生きることの本質を現しているようでもある。
ただこうして大黒天と取引をする時は、特定の呪文を唱えておかないと、血や肉だけ取られて妙薬は貰えないとされていて、その時唱える呪文は「ダラニ呪文」と言われているが、何となく「耳なし芳一」の体中に経文を書き身を守る話の中で、耳だけに経文を書くのが忘れられ、そこで耳が武者の亡霊によって引きちぎられる話を彷彿させるものが有る。

ちなみに大黒天の力を得ようとする者は、特にその本人の修行は必要が無く、ただ人間の血肉を差し出せばそれが得られるとされ、その量によって大黒天が満足するなら、大黒天と取引する者には望むすべての欲望の成就、あらゆる戦での勝利が約束された。

左手には大きな袋を担ぎ、右手に打ちでの小鎚を持ち、にこやかに笑う「大黒天」、しかしその発祥は「負を避ける」為に、破壊や闇から身を守る為に、その畏れを逆に力として信じる事から始まった死神信仰であり、日本に措いては、衰亡久しい既存権力宗教の復活をかけた野望から発生してきたものだった。

だがこうした有り様をかいくぐり、形を変え、そして人々の信仰の中に残って行く「神」とは一体何なのだろう・・・。
家の床の間にも木彫りの大黒天が置かれ、正月やお盆には菓子などがお供えとして飾られるが、本当はトマトジュースなどが良いのかも知れない。
また血や肉と言えば、キリストの最後の晩餐で「このパンが私の肉、ワインが血だ」と言う場面をどこかで思い出してしまうが・・・。