2019/05/19 05:42

寝苦しい夜だった。
武藤頼子さん(仮名・当時19歳)は中々寝付けず、右へ転がって見たり、左へ転がって見たりしていたが、それでも中々寝付けず、どうだろうか太陽こそはまだ昇ってきていないものの、午前4時位ではなかっただろうか、やっとウトウトした直後のことだった。
階下から叔母の呼ぶ声が聞こえ、「はーい」と返事をすると、下から叔母が上がってきて頼子さんに電報が届いたからと、一枚の電報が渡された。

こんな時間に電報・・・。
「一体何かしら」とその電報を読んだ頼子さんは仰天する。
「ハハ、キトク、スグカエレ」
電報にはそう書かれて有ったのである。
「これは大変」、頼子さんは慌てて身の回りのものをまとめ、身支度すると階下の叔母や叔父に事の次第を説明しようと、階段を降りていったが、おかしな事もあるもので、先ほど電報を持ってきてくれた叔母の部屋、ここには叔父も一緒に寝ていたが、何度叔母を読んでも返事が無く、中からは微かに寝息が聞こえる。

「変ね、電報を持ってきてくれてからまた寝たのかしら」
何と無く釈然としないものを感じながらも、確か上野から高崎(群馬県)行きの汽車は6時過ぎだった事を思い出した頼子さんは、前日も店が忙しく、疲れているだろう叔父夫婦を起こすのもしのびない気がして、便箋を取り出すと事の次第を書いて、それを居間の机の上に置くと、叔父達を起こさないように静かに叔父夫婦の家を後にした。

上野駅までは歩いて20分くらいだろうか、既に太陽が昇り、かなり明るくなった道を駅へと急ぐ頼子さん、しかし駅へ着いて見るとまだ6時の汽車が出るまでには少し時間が有り、ベンチに座って汽車を待っていたところ、暑さから昨夜全く眠れなかった事もあってそこで少し寝込んでしまった。

やがて駅員の東北本線汽車の発車案内の声で目を醒ました頼子さんは、慌てて汽車に乗り込み、そこでも眠り込んだが、この日、1923年9月1日午前11時58分に関東大震災が発生するのである。

頼子さんがこの地震の事を詳しく知ったのは翌日のことだった。
だが不思議なことに、店が忙しいので叔父夫婦の手伝いに行っていた頼子さんが実家に帰ったところ、彼女を出迎えたのは何と危篤のはずの母だった。
おまけに実家の者でそんな電報を打った者はおらず、確かに叔父夫婦の家から出るときには持っていた電報がそもそもどこからも見つからない。

そして不幸中の幸いと言うべきか、店こそ焼失したが、かろうじて難を逃れた叔父夫婦はその後、実家で有る頼子さんの家で暫く厄介になることになったが、そうした経緯から叔母に電報の話をした頼子さんはここでも言葉に詰まってしまう。
叔母は頼子さんに電報を渡した事はなかったのである。

つまり頼子さんは全く存在しない電報によって、関東大震災発生直前に東京を離れていることになるが、この電報は一体何だったのだろうか。
頼子さんは寝ぼけて「電報の夢」を見て行動し、そして関東大震災から逃れたことになるが、では頼子さんの記憶のどこからどこまでが夢で、どこからが現実だったのだろうか。

2・「真夜中の伝言」に続く