2019/05/19 05:43

関東大震災に関してはその後詳しい記録や調査がなされている。

そのため地震に関して膨大な資料が残されているが、この中には少なくと10件前後、この頼子さんと同じような経緯で震災を逃れた人の記録が残っていて、同じような証言は1995年1月17日に発生した「兵庫県南部地震」(阪神淡路大震災)でも、少なくとも6件の証言が残っているが、次は兵庫県南部地震でのエピソードを紹介しておこう。

神戸市東灘(ひがしなだ)に住む食品販売店店員の早坂達夫さん(仮名・当時29歳)は、仕事が終わってから友人とスナックへ出かけ、そこからアパートに帰り付いたのは午前1時少し前だった。
帰り着くなりパイプベッドで横になった早坂さん、洋服を着替えなければと思いながらも思わずウトウトしてまい、もう少しで深い眠りに落ちる寸前だった。

突然アパートの戸を叩く音でその落ちていきそうな意識は呼び戻され、暫く無視していたが、一向に戸を叩く音は収まらない。
「誰だ、こんな時間に」
ブツブツ言いながらも玄関の戸を開ける早坂さんだったが、何とそこに立っていたのはアパートの隣に住む佐藤義男さん(仮名・44歳)で、ひどく慌てたように奇妙な話を始める。

それによると昨夜9時ごろ早坂さんが留守だからと言って、西山ゆかりさん(仮名・当時23歳)の弟だと言う人が訪ねて来て、早坂さんに伝言を頼みたいと言われたので、その伝言を伝えに来たと言うものだった。
確かに西山ゆかりさんは当時早坂さんと付き合っていた、だがこんな時間に伝えなければならない伝言とは一体何だと思って聞いていると、これがまたさっぱり要領を得ず、かろうじて分かることは地震が有って道が通れないからすぐに迎えに来て欲しいと言うものだった。

しかし地震など無いし、道路もどこも混んでなどいない。
「佐藤さん、疲れているんですよ、もういい加減にしてください」
そう言って早坂さんは戸を閉めようとしたが、それでも佐藤さんは全く聞いていないかのように同じ説明を繰り返す。

やがてあまりにしつこい佐藤さんに正直なところ根負けした早坂さん、「はい、はい分かりました」と言って、用意をするからと無理やり玄関の戸を閉め、またベッドに横になるが、あれだけしつこかった佐藤さんはそれ以後諦めたのか静かになった。
そして次に早坂さんが目を醒ましたのは1995年1月17日午前5時46分50秒、震度7の地震が発生している最中だった。

早坂さんも西山さんも佐藤さんもこの震災で住居は被災したが、幸いにも皆かすり傷程度の負傷で事なきを得、後日西宮(にしのみや)の西山さんを訪ねた早坂さんは、この夜の佐藤さんとの押し問答の事を西山ゆかりさんに話すが、彼女も彼女の弟もそんな事を伝言しに行った事は無く、それから早坂さんは佐藤さんにも確認するが、佐藤さんも「そんな話は知らないし、夜中に訪ねるなんて非常識な事はしていない」と言われてしまう。

では早坂さんが体験した事は全てが夢だったのだろうか。
前述の武藤頼子さんのエピソードもそうだが、早坂さんの体験は、夢にしては少々手が込んでいるようには思えないだろうか。
即ちこうしたエピソードを考えるに、そこには何をすればその人間が一番早く動くかが知られているような感覚がある。
母親や恋人、父親や兄弟姉妹、友人や近所の人、どれも近い関係の人ゆえに夢には出てきそうなものだが、実は普段近親者が夢に出てくる事は少なくはないだろうか。

それが地震の時はなんの脈絡もなく訪れて緊急事態を告げる訳で、たった2つの事例で決めつける事はできないが、関東大震災と兵庫県南部地震の被害規模を鑑みるに、その緊急性に若干の手心が加えられているような、そんな性格の悪さと言うか、いやらしさをも脳機能に感じてしまう・・・。

だが、それはもしかしたら自分の心、自分の性格の悪さや人間的いやらしさを棚に上げて、脳機能のせいにしているだけの可能性も大いに有り得るか・・・。