2019/05/22 05:15

パソコンのハードディスクなどで使われているモーターの構造は、電池を電源とする模型などの動力モーターとはステーターの位置が逆になっていて、ステーターの外側にローターが有り、これが回転している。
その為回転が安定し、なおかつ周波数も安定することから、パソコンなどの磁気情報読み取りのためには重要な部品となっているが、1980年代、こうしたモーターの開発に着手し、その後精密モーターの世界市場占有率トップにまで成長したのが「日本電産株式会社」(Nidec)である。

同社がそれまでの小型モーター製造からステーターの位置が逆になったモーター、「スピンドルモーター」の製造を本格化させたのは1984年のことだが、こうしたモーターの需要が存在することをアメリカで知った社長の「永守重信」は、その初期はIBM(現在のレノボ社)や三菱、NECなどと言った企業からのモーター技術に関する相談を受ける中で、需要に応じたモーターの開発製造に着手して行った。

それゆえ日本電産の1984年以降の取引先はIBM、三菱、などと言ったこれからパソコン製造に本格参入する会社が多かったが、同社が滋賀県内にスピンドルモーター製造専門の工場を建設した時には、その体制は極めて不完全なもので、同じように滋賀県でIBMの冷却装置用フィラメントを製造していた「松下冷機」より遥かに不良品生産率が高く、そこに勤務している製造社員もほとんどが滋賀県、京都の20代前半の若者であり、しかも独身女性が多かった事から、社内風紀は表面上は新工場と同様フレンドリーだったが、その内部は大きく乱れたものとなっていた。

また社長の永守はNHKなどの取材に対し、「中小企業こそが日本の原動力で、大企業はこうした中小企業のために仕事を取ってこなければならない」ともっともらしい事を言っているが、その実創業当時から外注生産は少なく、不良品を破棄する部門まで自社内に設け、それを経費の安い派遣労働者たちにやらせていた。

しかもこうした1980年代、日本電産の経営や製造の主要部門には全て社長の親族が採用され、企業買収で名目上の管理職となった元別会社の役員などは、例えば課長が元トラック運転手をしていた、親族の課長補佐に頭が上がらないなどは日常茶飯事で、永守社長がこうした役員を呼ぶときは大体が苗字の呼び捨てであり、彼らはそれに対して揉み手をするように従っていた、いわゆる天皇社長経営だった。

更に当時まだ知名度のない日本電産を何とか宣伝するために、社員の端末に至るまで白地に緑の大きな「Nidec」シールを自家用車に貼る事を義務付け、これを剥がしていると密告されるシステムまで構築されていた。
為に社員は例えばデートに行くにも「Nidec」シールを貼り付けた状態で行かねばならず、そもそも滋賀県内の日本電産スピンドルモーター製造工場は慢性的な納期遅れ状態になっていた。

その原因の主要な部分は技術者不足だったのだが、例を挙げるなら先のIBM仕様のスピンドルモーターにしても、その周波数を同調させる方法が、周波数計を見て社員がドライバーで調整していると言う、極めて原始的な方法だったからである。
その為に不良品の山が築かれ、こうした状況に危機感を抱く永守社長は度々滋賀県工場を訪れ、役員や中間管理職をどやしつけていた。

たった4人の町工場から世界企業になった日本電産、その社長「永守重信」は確かに名物社長だが、彼が現在語っている自身の言葉と彼がこれまで歩んできた道、その現実には大きな開きが有り、彼はその初期からM&A(企業買収)とスピンドルモーター製造の両頭経営をワンマンに推し進めて来た。

私は実は25年前、向こうは記憶にもないだろうが実際の「永守重信」社長に会った事が有り、その時思った印象は「この人の元では働けないな・・・」だった。
時代がパソコン市場の拡大に伴ってスピンドルモーターの需要を押し上げ、そしてその波に乗った永守社長の勘は大したものであり、そうやって会社や人を引っ張って来たことも凄いことだが、この男は経営者では無く、ブルドーザー型企業家なのだろうと思う。

それゆえこうしてどの企業も軒並み業績が悪化する中業績を伸ばし、またあらゆる企業が海外に出ていき国内経済が空洞化する現在、業績も伸ばし国内の社員も減らさない日本電産の有り様はとても前衛的に見えるかも知れないが、その実態はM&Aで買収に次ぐ買収、そしてそこで働く社員たちの休日返上、夜も寝ないで頑張る人知れぬ努力が、犠牲がこうした社長の有り様を支えているのではないだろうか。

2008年にはかの有名な一言である「休みたければ休めば良いじゃないか」発言が有るが、つまり休日返上、休む間もなく働けば給料が上がり、会社も儲かる。
その反対で休みが多くコストが高くなって、ものが売れなくなれば会社もつぶれ結局雇用はなくなる。

「一生懸命働け」と言う訳だが、これに対して当時の厚生労働省までもが、労働基準法に違反していないか調査するというところまで問題化し、結局日本電産側がそれは誤解だと言うことにして鉾を収めた形を取っている。
日本電産にはその当初から清掃までも社員がやって行く形が取られ、従ってビルメンテナンスまでアウトソーシング(外部委託)を削減していたことから、現在永守社長がそれらしく中小企業育成を唱えながら、その実態は全くそんな方向性にはなっていない。

                                                       経営者の言葉・2に続く


※ 本文は2011年9月1日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。