2019/05/22 05:18

しかしおかしなもので、2008年には非難を浴びた永守社長を2011年にはNHKまでもが持ち上げ、永守社長は現代のカリスマとなっている。
時代がここまで困窮してくると、「儲かる事が全てだ、そのために社員の多少の犠牲は仕方ない」、そんな風潮が日本全土に波及している事がここからうかがい知ることができる。

そして恐らくそう遠くない未来に日本電産は落日をを迎えるだろう。
M&Aは確かに儲かる部分も多いが、それはリスクと隣合せであり、平均値で現在利益を出している企業にとってはリスクを増やす事にもなっていくからで、これから日本電産は本業以外の収益でスピンドルモーターなどの需要の落ち込みに対応しようとしているが、こうした手法は過去大手菓子メーカーの「江崎グリコ」などが行なっていた手法とそう大きな変化が無い。

だが江崎グリコなどとの決定的な差は、その本業の落ち込み具合にある。
中国や東南アジアの第三国の技術的追い込みは激しく、現在世界シェアの80%を握っていると言われる日本電産の小型精密モーター市場の占有率は年々下降線を辿り、その補填分をM&Aによる本業以外の収益でカバーしていくからだが、これは当然本業よりリスクが高い収益に依存することになる。

加えて永守社長の独裁的な経営手法であり、現在M&Aによって買収された企業は必ず永守社長が個人筆頭株主になり、代表に名を連らねていることから、もし永守社長に健康不安が発生した場合、日本電産は空中分解するリスクを負っているが、こうした事は一切報道されず、現在の救世主のようにマスコミでもてはやされる状況を見るに付け、私は中曽根康弘内閣時の「土光敏夫」臨時行政調査会長や、西部グループの「堤義明」会長、ダイエーの創始者「中内功」会長などの姿を思い出す。

いずれもその現役の最も光輝いた時期、若しくはそうした時期の少し前、これらの人たちにお会いする機会を得られたが、当時雲の上にいたこうした人たちの話は、おしなべてその現実とは乖離した耳障りの良い、そして力強いものだった。
しかし現実にはどこまでも個人のカリスマ性に頼った経営や手法であり、またどこかでは大変に傲慢なものだった。

そのことはこの20年の間に、こうした人たちに対する歴史的評価の低下がそれを証明しているが、思うに経営や企業が発展するときは、その時代が求めているものが現れてくると言うことで、それは多くの色んな考え方が有って、その中から一番時代に適したものが伸びていくと言う事かも知れない。

従って経営者に求められるものの本質は「情念」であり、それが社会的正義に合致するか否か、公序良俗に照らし合わせられるか否かは余り重要な問題ではなく、むしろこうした事を経営者が語るようになると、実はその企業にとっては光に対して影が大きくなっていると言うことなのではないだろうか。

それゆえこうした私の話を単に日本電産の裏側を書いていると思われては困るが、どんな企業も永遠に続かないと言うことであり、その在り様こそが中小企業も皆公平にいつか光を浴びるチャンスを持っていると言うことである。

ちなみに話はそれるが、ドジョウと言う生き物は大変「共食い」の多い生き物で、狭い範囲で飼っていると卵や稚魚を成魚がみんな食べてしまう魚である。
こうしたことを知らずにイメージだけで自身をドジョウと言い、これを何も調べていない者が取材すると、ただ上辺だけのイメージで軽率な報道が為され、それをまた詳しく知る機会の無い大衆が固定的に認識する。

その結果、実態からはかけ離れたイメージだけのドジョウの姿が大手を振ってまかり通る薄い社会が出来上がり、これが現代社会の情報の本質だ。

しかし野田佳彦新総理は幸運だった。
幸いにも海外の報道メディアもドジョウのことは詳しく調べなかったようで、その意味では情報の薄さは世界的な傾向だったようだ。
「共食い総理」と呼ばれなかったことは、日本国民として胸を撫で下ろしておかねばならないだろう・・・。


※ 本文は2011年9月1日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。