2019/05/26 05:09

男が女と寝ている時、女が男と寝ている場合でも良いが、自分が今現在一緒に寝ている相手は確かに固有の異性と言うものに違いない。
しかし我々人間は特定の異性と事に及んでいながら、実はもっと漠然としたものを相手にしているかも知れない。

例えば女が男を好きだと言う場合、そこにはその女が理想とする「男」の漠然とした概念があり、その範囲の中で最も理想に近い男が選択され、それで生殖活動を行っているが、そこに存在するものはある種の理想が先鋭化された結果の男の個体と言うべきもので、そもそもは漠然とした理想であり、これは実は形を持っていない。

ゆえに我々人間は男なら誰でも、女なら誰でもの世界を特定の異性に見ているようなものであり、好きな男と寝ていながら、女は本当はその男とは別な「男」と言うものの全体像とも寝ているのであり、愛していると言いながら、男はまた別の何か得体の知れない女と言う全体概念とも寝ていることになるのであり、この傾向は女より男の方が遥かに強い。

そしてこうした意味で全体的概念の男や女は、社会的に形成されたものが「個」に干渉するものであり、男女の営みはあらゆる事象が影響を与えた結果として、固有の異性と寝ていると言う現実を生むのであり、これは政治や経済、知識も同じ原理を持っている。

つまり人を好きになるのに理由は要らないが、どこかでは全ての総称として男女がめぐり遭っているのと同じように、政治や経済もそれ単体で動いているのではなく、例えばどこかで女が一人の男を好きになる事と、政治や経済は全く無関係ではいられないものなのであり、なおかつそれは変化していながらその変化には気がつかず、少しずつ壊れている大変危ういものでもある。

我々は通常一般的には政治や経済、生活、恋愛や娯楽、犯罪と言ったあらゆる事象を区別してそれぞれに考えようとしていくが、人間の営みに措いてこうした事象は全て同じことであり、従って政治をそれだけで分けて考える者、つまりは政治家が一番が政治を分かっておらず、経済活動の中にある者ほど経済を理解していない。

何故なら皆そこに「人間」と言うものを考えないからであり、高々数千年の統計から導きされた理論や学説など、その逆べき分布の不確定性から簡単に淘汰される事を知ることが無いからだ。

それゆえ常に動いて形の捉えられないものを「止めて」考える人間の習性は「真理」や「事実」を生じせしめるが、それらは一時何かが発見されるまでの、或いは必ず劣化していく生物や物質の、ただの状態に過ぎず、あらゆるものは混沌から発生し、それが秩序となっていく過程の「秩序」は、決して「真理」とは成り得ず、それは科学の世界に措いても免れず、一度秩序から混沌に向かう時はあらゆるものが混沌へと向かうが、この原理はインターネットの世界でどこのサイトが発展していくか予想が出来ないにも関わらず、一度リンク数が増え始めると、より多くのリンク数を誇るサイトにアクセスが集まっていく仕組みと同じような「速度」を持っている。

20世紀の世界はそれが正しかったか否かはともかく、それまでの混沌から「秩序」を形成したが、まずこうした秩序が一番先に壊れて行ったのがイデオロギー「思想」や政治であり、この思想や政治の秩序を壊していった原因は「経済」であり、この基本因子は生物の第一次欲求であり、「食欲」に始まる個人の欲求の膨らみに政治が呼応して行ったからである。

政治は本来「調整機能」のことであり、この事から政治とは個人に対して「妥協」を容認させる事がその本質だが、少しづつ膨らんだ調整機能実務者、いわゆる行政関係員、公務員などの増大は、やがて調整機能と言う本質を失い、組織維持へと変遷し、それに経済が迎合していった事から、現実よりも未来重視型の社会を発生させ、自由主義が謳われながら、そこには政府が経済に干渉していく「社会主義経済」や「統制経済」が顔を覗かせ、一度こうした仕組みに落ちた政治は、本来個人に付託されるべき経済の「努力」の部分まで民衆に保証しなければならなくなった。

この意味で経済を壊した諸原因の始まりは経済学者の「ジョン・メイナード・ケインズ」であり、ニューディール政策の「フランクリン、デラノ・ルーズベルト」と言えるが、世界恐慌の中で貧困に喘ぐ民衆が存在する当時の世界経済を鑑みるに、こうした流れの根本的な原因は民衆にあり、彼らが望んだものが「経済保証政治」だったと言うことでもあるだろう。

だが1980年代、まず経済至上主義は「ソビエト連邦」と言う社会主義イデオロギー体制を破壊し、ここに野放しになった資本主義は増長し、あらゆる価値観を呑み込んで膨らみ、やがて世界が有限である事に気が付き破綻していく事を繰り返したが、増長する経済はその根本である「生産」をないがしろにし、金融や株式と言う枝葉を発展させ、結局皆が枝葉ばかりになって「生産」と言う根元を失っていた事から、こうした金融と言う幻影を経済と考えた社会が行き先を失うのは目に見えたことだった。

                         「大いなる旅路・2」に続く

本文は2011年9月28日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。