1・「風呂上りのビール」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/05/29 05:06

仕事が終わって取りあえず風呂に入り、火照った体に冷えたビールをひと口流し込む時の幸福感は、他の何にも代え難いものと言われているが、納屋洋子さん(仮名・当時16歳)の父親もご多分にもれず、毎晩仕事から帰って来ると風呂に入り、そして冷たいビールで一息付くのが何よりの楽しみだった。

そしてここまでの話ならどこの家庭でも在る極々日常のひとコマだが、洋子さんの父親はいつも風呂上がりにはパンツひとつでタオルを首から下げた出で立ち、それで時々大きく出た腹をポンポン叩きながらビールを飲んでいたことから、流石にこの有り様は夫婦と二人姉妹の家庭では受けが悪く、特に洋子さんの姉はこうした父親の姿に嫌悪感すら感じていたようだった。

洋子さんの姉はふとしたことがきっかけでアイドル歌手だったのだが、20歳になる彼女はいつも父親のこうした姿を目撃するたび、「お父さん、年頃の娘がいるんだから、そんな格好はやめてよ」と口を尖らせ、それに対して父親は「こうしてビールを飲むのが俺の唯一の楽しみなんだ」と譲らない。
父と娘の関係は日を追うごとに険悪なものとなっていった。

やがて仕事の関係で一人暮らしを始めた洋子さんの姉、忙しくてなかなか会えない姉のマンションを、大学受験のために数年ぶりに訪れた洋子さんは、夕食を準備して姉の帰りを待っていたが、ずいぶんと遅くに帰ってきた姉は、食事より先に風呂に入ると言って浴室に入って行ったが、やがて風呂から上がって来た姉は首からタオルをかけ、それで髪を拭きながらソファにどっかと腰をおろし、そして缶ビールの蓋を開ける。

こぼさないように口を付け、そしてグビグビ喉にビールを流し込むと、ポンと缶をテーブルに置き「あー、美味いわー」とソファの背もたれに体をあずける。
・・・とここまでは良かったのだが、問題はその格好だった。
何と洋子さんの姉はパンツひとつでこれをやっていたのである。
「おねーちゃん、それじゃお父さんと同じじゃない」
いぶかしがる洋子さん、それに対して姉が一言・・・。
「良いのよ、誰も見ていないんだから」

男女と言う性意識は実態が伴っているとそれは「抑止効力」を発揮する。
つまり男女の性意識は「道徳」の基本的な部分を形成していて、この実態が外れた状態だと、実態の相対する性がないと、性意識は暴走し、この傾向は女の方が激しく、男の方は性意識そのものが暴走しやすい。

例えば温泉や銭湯でも基本的に人間的なマナーを無視する傾向は、男湯よりも女湯に発生しやすく、同じ観光バスツアーでも女だけのツアーと男だけのツアーでは、女だけのバスツアー内で発生する要求の方が大きくなり、これは本質的には暴走だが、人間の欲求とはまた常に暴走そのものであることから、社会が景気の悪い状態にあるとき、こうした欲求を満たす事がサービスと考える風潮が現れると、暴走が正当化され、このことによって社会は少しずつモラルを失っていくことになり、男が持つ男の価値観はその大部分が母親と言う女が理想とする男と言うものの意識に影響を受ける事から、女の暴走が正当化され易い社会は結局男のモラルも暴走させることになる。

また自由と抑圧は同じものであり、片方で男女の区別が厳しく管理される社会と、文書化できるような形式的自由や平等が蔓延する社会は同じ傾向を表してくるが、この意味では男女が厳しく抑圧された社会の方が宗教によって、或いは罰則によって管理される分、軽薄な自由が暴走して現れる男女の区分社会よりは強いモラルを保持する。

イスラム社会では男女の厳しい区分が存在するが、それとは全く対照的な自由主義社会でも、自由や平等が暴走していくと、やはり男女の区分化が発生してくる。
「女性サービスデイ」、或いは「女性だけしか入れない店」、「電車の女性専車両」、「女子会」、「女性限定ツアー」など、日本社会のあらゆる「場」で発生してくる男女の区分化傾向は、基本的には女の暴走、つまりは女が女ではなくなる機会を増加させ、この場合は抑制の無いヒト科生物の本能に従ったものを増長させ、これが結果として社会のモラルハザードへとつながっていく。