「自分に撃たれる」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/05/30 05:08

青年と言うには年齢を食いすぎているかも知れないが、壮年と言うには少しかわいそうな年齢のその男、名前は「ドナルド・オーパス」と言ったが、彼に仕事は無く、妻子もおらず、そこへ今度は「いい年をしていつまでも仕送りは出来ないからね」と、ついには唯一の収入源だった仕送りも母親によって止められ、その事に逆上したオーパスは何故か密かに彼の父親の部屋に忍び込み、ショットガンを取り出すと弾倉に弾丸を込め始めた。

さてそれから1ヶ月半後、アメリカの地方都市に存在する、とある10階建てのアパート、このアパートの9階の1室では老夫婦と呼ぶには少し若いだろうか、彼等がまた今日も派手な喧嘩をしていた。
「あんた神様のつもり!私を何だと思ってるの」
「何だとこのヤロー、お前のような奴は撃ち殺してくれる」

そう言うと男は隣の部屋へ入って行ったかと思うと何とショットガンを持ち出し、その銃口を妻に向けると安全弁を開放した。
「カチッ」と嫌な音がし、さらに男の指が引き金にかかる。
「おい、これでもまだ口ごたえするか、このアマ」
「ああ、撃ってごらんなさいよ、どうせ銃弾(たま)は入ってないんだし、そんな度胸もないくせに、あんたのでかいのはその図体だけで役たたずのくせに、さあ、殺してみなさいよ」
「んー、くそー、もう勘弁ならん、覚悟しろ」
男はそう言って狙いを妻に定めると引き金にかかった指に力を込める。

だがこれはいつのも事で、些細な事でしょっちゅう喧嘩しているこの夫婦、今日も朝食の準備が遅かったと言う事で夫が怒り出し、そこから夫婦喧嘩は始まったが、夫が妻に弾丸の入っていないショットガンの銃口を向けるのは、言わば夫婦喧嘩の儀式のようなものにしか過ぎず、その意味ではショットガンの引き金を引く夫も、銃口を向けられている妻にも、こうした事態であるにも関わらず一定の安心感が漂っていた。

おもむろに引かれるショットガンの引き金、この後いつもどおりカチッと言う音がして終わるはずだった。
が、その日は何と凄い音がしてショットガンの銃口からは弾丸が飛び出し、まるでスローモーションのようにゆっくりと薬きょうが床に落ちて行くのだった。

この事態に一番驚いたのは引き金を引いた夫の方だったが、彼の腕は予期せぬ衝撃に標的を支え切れず、幸いにも弾丸は妻の右肩辺りをかすめて後ろの窓を突き破り、ガラス窓は粉々に砕け散った。
ショットガンを撃った夫は勿論、弾丸が自身をかすめていった妻も呆然となり、しばらくの間2人は白痴のように口を開けたまま立ち尽くしていた。

やがてすっかり夫婦喧嘩も吹っ飛び、幾らこの事態の理由を考えても堂々めぐりの夫婦、暫くしてそこへ警察が訪ねてくる。
すわ、今の銃声でアパートの他の住人が警察に連絡したのかも知れないと思った夫は、逮捕されるかも知れない事を覚悟しながらドアを開けた。

「警察の者ですがこちらでさっき銃を発射しましたか」
どことなく拍子抜けしたような丁重な言葉で夫に事情を訪ねる若い警察官、それに対し一部始終を話して聞かせた夫婦は、てっきり夫は監獄へぶち込まれるだろうとガックリしていたが、以外にも警察官は「暫く待っていてください」と言うと彼らを残して部屋を出ていってしまった。

ところで同じ日、この10階建てのビルの屋上から一人の男が飛び降り自殺を図ったが、幸いにもこのビルでは窓ふき作業が行われていて、8階部分には落下防止用の防護ネットが張られていた為、そこへ自殺志願のこの男は引っかかり、誰もがこれで男は助かっただろうと思ったのだが、通報を受けて駆けつけた警察官がいくら男を呼んでも返事がなくぐったりしている。

やがて防護ネットから引き上げられた男を見た警察官は首を傾げる。
「んっ、確か屋上には遺書もあったし、この男は自殺しようとしたんだよな」
「そうですが、それがどうかしましたか」
年下の警察官は年長の警察官に怪訝そうな表情で問い返す。
「見てみろ、この男の頭には銃弾が貫通した跡がある」
「そんな馬鹿な、この男は銃で自殺をはかって、それから飛び降りたんですか」
「とにかく死因はこの頭の銃痕だ」

なんとも言えない表情で現場から引き上げ、それからアパートの住人に事情を聴きに回った警察官たち、聞き込みを続けていくと9階の夫婦の部屋で銃が発砲されたことまでは分かったが、それが自殺しようとした男とはつながらず、更にはなぜいつもは銃弾が込められていない銃に弾丸が装填されていたのかも分からなかったが、自殺した男の所持品から彼の親族の住所を調べた瞬間全てが繋がった。

この男の両親の住所を訪ねた警察官たちは、何と先ほど銃の発砲に関して事情を聞いていた夫婦の部屋にたどり着いたのである。

自殺した男はこの夫婦の息子であり、その名前をドナルド・オーパスと言った。
事の顛末はこうだ。
ろくに仕事もせずにブラブラしているドナルド・オーパスに業を煮やした母親はついに息子への仕送りを止め、これに逆上したオーパスは母親を殺してやろうと、いつも喧嘩になれば弾倉が空のショットガンを持ち出す父親の、そのショットガンに弾丸を装填して置いた。

そうとは知らないオーパスの父親は、オーパスがショットガンに弾丸を装填した1ヶ月半後にショットガンの引き金を引き、たまたまそこへ金もなく母親まで殺そうとしている自分が嫌になり、10階の屋上から飛び降り自殺をはかったオーパスの頭に、父親が発射したショットガンの弾丸が命中したのである。

なんとも紛らわしいことだが、もしオーパスが母親を殺そうと思わなければ、例え自殺しようと屋上から飛び降りても助かっていただろう。
僅か2階部分を落下している間の9階で、たまたま自分が装填した弾丸に撃たれたオーパス、彼は運が良かったのかそれとも悪かったのだろうか・・・。

どうやら司法は彼の死を自殺と判断したようだが、1994年3月24日、アメリカで実際に新聞紙面を騒がせた珍しい事件である。

人間は同時に2つ以上の偶然が重なると、そこに「神」や「運命」を感じるものだと言われている。