2019/06/01 05:08

また1945年4月28日、妻クラレッタと共に裁判も受けずに射殺された第二次世界大戦中のイタリアの独裁者ムッソリーニの遺体は、同年4月29日にはミラノ・ロレート広場に運ばれ、そこで妻共々裸に剥かれ逆さに吊るされたが、この直後から発生したものは残虐なファッショ狩りであり、ことに遺体に対する侮辱が行われた場合の混乱は、「民衆の狂気」によってあらゆる秩序を根こそぎ消失させる。

同じことはロシア革命、ソビエト崩壊前後のルーマニアでも発生し、ルーマニアの市民開放運動では、指導者のニコラエ・チャウシェスクが妻と共に後ろ手に縛り上げられたまま公開射殺され、その後ルーマニアに訪れたものは自由と引き換えの大混乱だった。

更には欧米の利害によって干渉を受け、その後まるで悪の権化のような扱いを受けて
処刑されたイラクのフセイン政権はどうだろう。
サダム・フセインのことごとくが、さながらコマーシャルを見るかように辱められたイラクの事実は、アメリカが言う「独裁からの解放」では無く、イラクに血で血を洗うテロ連鎖をもたらし、未だにイラクは混沌の極みとなっているばかりか、アフガニスタンも同様の状況がもたらされている。

そして2011年10月20日、「狂犬」と呼ばれたアラブの暴れん坊「リビア」の「ムアンマル・アル・カッザフィー」がついに反政府勢力によって殺害され、リビア国民は解放された。

「アラブの春」と呼ばれる中東に措ける民主化運動がついに独裁国家リビアにまで及んだ形だが、リビアの開放の実情は部族間闘争であり、これに石油利権に絡んだ権益拡大を目論むヨーロッパ諸国とアメリカが干渉し、ついに独裁者カッザフィーは殺害されたが、反政府勢力が前為政者を殺害したその罪は大変重大であり、かつ裁判も受けさせずに殺してしまうことは国際法の以前に、歴史がその後当事国家がどう言う道をたどるかを如実に証明している。

恐怖が恐怖を克服しようとして暴走したとき、その恐怖の元凶となっていた「暴力」「権力」は、自身がこれまで行なってきた事実を知るが故に、言わば自身がしてきたことが何であったかを知るが故に「恐怖」に落ち、それを超える恐怖によって、「暴力」によって抵抗しようとするが、この段階で既に権力者であった者は事実上弱きものでしかなく、この弱きものと被権力者だった民衆は、互いの行なってきた行動から恐怖の連鎖に落ち、この闘争であらゆる秩序は水泡と帰し、前権力者が殺害されると、秩序は構築されない。

つまりカッザフィーを殺害してしまったリビア国民には、「自由」と言うものと引き換えのさらなる混乱、闘争がこれから待ち受けているばかりか、これまで有った石油の利権すら欧米諸国に食い荒らされる状況が訪れてくるのである。

                                                  「権力の散逸と儀礼」・3に続く

本文が2011年10月23日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。