2019/06/04 04:26

そろそろ玉葱の苗でも植えようかと思っていたら、あいにく朝からの小雨でそれもまかりならず、仕方なく屋内の仕事にしようと準備をしていたら、今度は電話にそれを引き留められ、何かと思えば農協と商工会議所主催の「TPP反対集会」に参加せよとの仰せである。

親戚縁者の農協職員からの頼みであれば是非もなく、大した期待もなく会場に出向いたが、予想した通りの展開で、TPPと言われても洋菓子か新しい農薬ぐらいにしか思っていない者、そうで無ければ自分が如何に物知りかと言うことをひけらかすに留まる者、そして口先だけの農家、遊んでいながら若い者に指示するだけの地域文化人しかおらず、至って退屈な時間となってしまった。

「我々は断固TPP交渉には反対する」と決議して集会は終わったが、一体こうした事に何の意味が有ろうか。
唯騒いでいるだけのチンピラと同じではなかろうか。
本当に目的を達せようとする者は静かなものであり、藪に潜んで息を殺して機会を伺っているものだ。
それをこれ見よがしに大騒ぎしている有り様は、既に初めから目的など持っていないに等しい。

この国はどこかで不思議な国になってしまった。
景気が悪いと言いながら、その実働いている者の姿より遊んでいる者の姿の方が多く、平日午後3時と言うにパチンコ店の駐車場は満車状態、どこぞで仕事の話をすれば、「政府や行政に何とかして貰わないと」と言う話ばかり、まるで自分が生きる事を人任せにしているような有り様には、海に浮かぶ海月(くらげ)程の覚悟も感じられない。

日本は人口に比した食料自給ができる程の国土面積も持たず、資源も乏しい。
それゆえ工業生産の貿易によって外貨を稼ぎ、その事から内需が発生する形態の経済循環で暮らしてきて久しく、TPPは確かに理不尽で、いずれそう長く実質機能するものでは無いとしても、日本が工業生産品の輸出主導経済を諦めるのか否か、今それが国際社会から問われている。

これは形は違えど、財政破綻したギリシャがEUに留まれるか否かと同じことであり、国民が無責任、わがままな事を言えば間違いなく完全な財政破綻、国家破産の道が待っている。

だがギリシャはまだEUの通貨共同体内で有ることから、EUの他の諸国に対して影響力を持つが、年々国際的影響力を失ってきている日本では、その内国際社会ではどうでも良い国として扱われ、TPPに参加しようがしまいが関係なく、新秩序貿易システムの外に置かれることになる。
つまりは世界貿易のなかでは孤立すると言う事態が訪れてくるのである。

日本人が考えているほど今の日本は世界的な影響力を持っていない。
日本の野田総理がアメリカを訪問したおりも、婦人と共にアメリカ国内で歓迎されたように日本国内では報道されたが、実は多くのアメリカ人が日本の総理大臣がアメリカを訪問している事すら知らなかった。
つまりアメリカのマスコミは野田総理のアメリカ訪問を記事として伝えていない、その価値がなかったのである。

また近いところでは、中国に措ける日本領事館の移転にともなう中国の対応などを見ても、明確に重要性、緊急性を欠いている。
すなわち中国政府によって領事館移転がいつになったら完了するのか、不透明な状態に置かれているのである。

こうした状況の中、TPP不参加ともなればその先に待っているものは、間違いの無い輸出低下であり、日本は実情から言えば、農林魚業や今の日本の国内システムを守るのか、それとも経済を取るのかの選択を迫られていて、しかも政府の方針はもう決まっている。

野田総理大臣は赤いところへ行けば赤い事を言い、黒いところへ行けば黒いことしか言えない総理、つまりはカメレオン総理であり、そのことは原発政策で国内では原発政策の見直しを発言しながら、国連演説ではその反対の事を言う有り様を見ても明白だ。
だったら正直に国民にその事を伝え、今の日本にはこれしか道がありませんと言えば良いものを、それが言えない。

そしてズルズルと最後になって「TPPやむなし」となることは目に見えている。
全く愚かだが、今の日本には力がない。
これだけ遊んで暮らしている者が多い国に何が出来ようか、力なき者は力には逆らえない。
だとしたら同じ下げる頭なら深く下げるがよかろう。
それとも世界相手に経済戦争を仕掛けるつもりでも有れば話は別だが、その覚悟のない者は、同じ諦めるにしても中途半端な事をして更に深い闇に堕ちる。

私は水飲み百姓ゆえ、TPPでは恐らく苦しい状況に追い込まれるだろう。
だがそれで他の多くの日本人が助かるならそれも我慢しよう、きっと耐えて見せる。
しかし長靴一つ履いた事のない者が「日本の農業を守れ」だの、「日本の食料政策が云々」だの言っている姿には腹が立つ。

水害で全ての田畑が水を被ったとしても、日照りで雨が降らず米が一粒も収穫できなかったとしても、米の値段が下がったとしても、恐らく私は来年も種を撒き、田に苗を植える。
そして全くの無駄になったとしても神社に新米を供え感謝する。
これが我が「農」に対する姿勢であり、TPP如きがこれを変えるには到底及ばない。

何故なら「農」は私と「天」との約束だからである。


※ 本文は2011年11月3日、yahooブログに掲載し記事を再掲載しています。