「賛成と反対」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/06/05 04:47

1980年代の一時期、「対外関係省」と名称変更した事のあるフランス外務省だが、フランスの外交の内、主に国内対策に関する手法として伝統的な方法が伝えられている。
この手法は今に至っても国際政治のあらゆる場面の中で、また外交交渉の中で頻繁に使われる手法であり、政治や外交ではその外に対しても内に対しても有効な手法なので、是非おさえておきたいテクニックと言える。

簡単な事だが、例えば何か一つの重要な行動を起こすとき、そのはじめに大言を以って公言すると、必ずそれに対して反対意見が出てきて一斉攻撃を受ける。
だがこうして大言を公にしたら、今度は一切語らず沈黙を守っていれば、その反対意見に対する反対意見が発生してきて、やがて世の中は事の賛否を巡って右往左往の大騒ぎになるが、相変わらず沈黙を守り通し、やがて機を見て一挙にその行動を起こせば、その頃には反対する者たちは何も言えなくなってしまうと言うことだ。

1800年代後期の政治家「アルベール・ド・ブロイ」や、同じく1800年代後期の外務卿「ガブリエル・アノトー」などがこの手法を最も好み、為に「アルベール・アノトーの秘訣」とも言われるが、「アルベール・アノトー」と言う個人は存在せず、これはアルベールと言う為政者と、アノトーと言う外務卿の2人の名前である。

そして日本でこの手法を使って成功を収めたのが、「小泉純一郎」元内閣総理大臣であり、彼が郵政民営化で見せた強硬な手法はまさに「ガブルエル・アノトー」達が得意とした手法そのものだった。

だがこの手法を用いる場合、一番肝要な事はその行動を起こそうとする人物の精神力と言えるかも知れない。
人から何か言われるとすぐに気にして弁明しようとする者、或いは初期に発生する大きな反対意見に惑わされ、すぐに行動を逆転させる発言をする者、修正を加える発言をする者がこうした手法を用いると、例えどんなに素晴らしいものであろうと、その行動は認められらなくなる。

この点で小泉純一郎元総理大臣以降の日本の総理大臣は全員が失格だったと言うことであり、なおかつ現総理大臣の「野田佳彦」総理大臣は、さらに上を行く不利な行動をしている。

人間の感情と言うものは、その自然な状態から44%と46%の確率で相対しているものであり、つまり初めから相当ひどいもので無ければ、どのような意見もほぼ50%と50%の割合で意見が拮抗してくるものなのだ。

簡単な例で言うと男と女で既に半分づつ、そして親と子でまた半分と言う具合に、会社や個人の付き合い、年齢別にそれぞれがほぼ半分ずつ別れていて、これは異性に対する好みや嗜好に至るまで、大体半分ずつの割合に意見が別れているものなのだが、ではこうした感情をそのまま表現するかと言えばまた別の話になり、表現は状況や環境、好悪の感情によって変化し、必ずしも本心や本質の合理的判断からくる意見を反映しない。

中でも一番面倒なのが「好悪の感情」であり、人間の正義感などはその殆どが「本質の議論」では無く、好悪の感情によって決せられる点に有る。
つまり「あいつが言っているなら、それはだめだ」や「あの人は嫌いだから」と言う判断が必ず発生すると言うことであり、しかもこうした場合の意見の対立は決定的なものだ。

その上でどんな個人もまた50%と言う確率の中に有るとするなら、個人が関係する全ての人間の内、半分は自分と同じ意見だが、残りの半分は常に不透明になっている事を鑑みると、ある程度判断が微妙な事案については、放置しておけば間違いなく大議論になって行き、その議論が下火になった頃に行動を決行した場合、国民の中で充分議論が為された感情、簡単に言えば「飽き」が発生し、為に反対意見は雪崩をうって崩壊して行かざるを得ないのである。

だがこうした場合の反対か賛成かの意見の分岐点、その確率は44%と46%であり、その誤差はわずかに2%だが、この2%に個人の状況や環境による「本質の合理性から来る意見」の反対側が相乗してくるため、最終的な結果が70%対30%と言う事態に陥るのであり、その基本確率が44%と46%になっていて、残り10%はどうなのかと言うと、これは破壊因子(ロゴス)である。

どんな生物でも、あらゆる事態に対して「外」の状況が7%は発生してくるものであり、これは生物的非常避難システムと言えるが、人間の場合はこの本能的分散システムが他の動植物よりは僅かに劣り、特に自然界に関係しない政治や経済の判断では3%から5%が限界であり、この確率は賛成反対の相互から発生するため、5%と5%としても10%に留まり、しかも賛成反対相互の「外」になることから、結果的には議論そのものの破壊因子と表現される。
簡単に言えば棄権票のようなものかも知れない。

そしてこうした手法で注意しなければならないのは「複合」を避ける点に有る。

例えば現在日本を騒がせているTPPなどの議論にもう一つ「増税」の議論が重なってこれが成されると、賛成の加算は殆どないが、複合議論による反対意見の加増率は12%くらいずつ上昇していく。
つまり多くの議論を一度に提言していくと、基本的に全てが反対意見になって行き、最終的には提言者の人格否定にまで及ぶと言うことになる。

加えて野田佳彦総理大臣のように、国内提言が為されず、先に外交によって「外」に発言されたものは、国内と言う「内」では当然の反発を招き、ここでも最大50%は存在する賛同意見の大半を失い、これを強引に行動に移すと、その国内の反発は、オセロゲームのチップのように簡単に黒に引っくり返ってしまう。

情報通信速度の遅い時代、国会は確かに議論の場と言えただろう。
しかしこうして情報通信が即時に近い速度となった時代、またあらゆる価値観を喪失した代議士が集まって為される国会の議論などは既に意味を持たない。

しかし国民が軽薄な情報を下に騒ぎ立て、それをして自身の内で「良く議論が為された」と錯誤するようであっては、所謂情報速度による「飽き」を錯誤してしまうようでは、本来ならはねのけられるべき中途半端なアノトーの手法でも、国民の愚かな手によって救われてしまう事が有り得るのかも知れない・・・。

※ 本文は2011年11月7日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。