「文化の種」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/06/09 06:12



数年前の事になるが、親しい知人と安芸の宮島を旅した事が有り、そのおり感じた事は、今から1000年近くも前、よくもこれだけのものを想像できたものだと言う驚嘆だった。


日本神道は弥生以前は確かに平面的な広がりを持っていた。

神は緑深い山や海の彼方に存在し、民衆との接点に鑑みるなら「平行思想」だったが、大陸から新しい文化が入ってくると「高天原」に見られるように上下的な広がりを持つようになり、この歴史はおそらく1000年前後続いたものと考えられる。

 

だがこれを海の上に平面的に広げた、つまりそれまでの上下関係の神の思想を、建造物に拠って視覚的平面思想を復活したのが厳島神社ではないかと思われ、その規模、造形的な美しさ、周囲の景観とのコントラストなど、どれを取っても大変素晴らしいものだ。

 

更にその1000年前の建造物が、今に至っても多くの観光客を呼び、地域の経済を支えている事に鑑みるなら、これぞまさしく文化と言うものに他ならないが、平清盛公がこうして世に出る機会を得られた背景には清盛公の以前100年、平将門公の存在がなければ為し得なかったかも知れない。

 

平将門公の乱はある種の下克上とも言え、この下克上、能力主義に拠って存在を脅かされた既存権力は、自身保護の為やむなくそれまでの貴族血統専横政治から、能力の有る者は身分を問わず積極的に登用する、言わば下克上を防ごうとして下克上の前例を作ってしまう。

 

この種が花開いたのが平清盛公の時代ではなかったかと言う気がする。

こうして武家が政治に参加する前例を作ってしまった平安の都は、以後度々武家支配を受け、ついには徳川幕府に拠って完全に武家支配の時代を迎えるのである。

 

面白いものだが、我々が文化と称して守っているものは、よく考えて見るとその時代の革命や変革、或いは創造なのであり、この意味では文化とはその当代で最先端の変革、革命の中で民衆から支持を受けて残っって来れたものと言う見方が出来る。

 

決して既に創られたものを崇め奉る事ではないように見える。

文化とは守ることではなく創る事で有り、最先端にして革命や変革とも言える試みがなければ発生する事が出来ないもののように見えるが、現代の我々は1000年後も人々が来訪し、それに拠って地域が恩恵を受けるような試みを行っているだろうか・・・。

 

小さな古民家を後生大事に守っている事が本当に文化を守っていることだろうか・・・。

それはただ、その人間がそれが好きだと言う理由だけでは無いだろうか。

必要な物は残り、必要ではない物は淘汰され滅びるは自然の理と言うものであり、ここにしがみつくを現代社会は文化や伝統と呼ぶが、文化も伝統もその当代最先端の革命から生じたものであり、蘇我氏然り、藤原氏然り、平将門公、清盛公然り、千利休然り、既存に対抗して新しいものを創造した者たちが残したのである。

 

文化は守りではなく攻めだ。

革命であり既存を打ち壊して新しい秩序を築こうとする情念なくして築くことは出来ない。

 

田舎に住んで老人達が恣意的に語る文化は、ただ過去に縋っているだけのようにしか見えない。

世は混乱し、明日をも知れぬ時代に新しい秩序を目指した者たちがどの時代にも存在し、その情念が形を持ち、後世の人間を圧倒するものを築いてきた事に鑑みるなら、我々が本当に失ってはならない事は何かはっきりしている。

 

既存秩序が崩壊、若しくは腐食した時、新しい秩序を目指し変えて行こうとする情念、これこそが失ってはならない「文化の種」では無いかと、朱塗り回廊から海を眺めて思ったものだった・・・。