2019/06/17 05:45


夢をみた・・・。

囲炉裏を挟んで上座に自分が座り、一番戸口に近い下座に母が座っていた。
私は自分の正面に座っている母がこの世の者では無いことを認識していたが、それを恐れるでもなく、生きていた時と同じ様に声をかける。
「もう、帰っては来れないのか・・・」
「それは・・・、分からない」
私の問いに母はそう答えた。

「○○(孫の名前)に会って行けばどうだ・・・」
私は何かでもう母は帰って来ない事が分かっていて、それならせめて可愛がっていた孫に会って行けばどうかと思ったのだが、何故か返事が無い。
数秒の沈黙が続くが、やがて私は或る事に気が付き、「はっ」と顔を上げ、そこには何か困ったような顔をした母の顔が有った。

「そうか、そうだった、もう死んでしまっていたんだな」、今孫の前に姿を現せばきっと驚かせてしまう。
「それは出来ない事だった・・・」
私はそう思うと、孫に会うことも出来ない母を不憫に感じ、そして頬を一筋涙が流れたかと思うと、次から次へと涙が溢れてきて、やがて「済まない、俺にもう少し力が有れば・・・、済まない」と号泣していた。

私は腰を屈めて泣きながら、同時に見えないはずの母の顔も見ていた。
母は少しずつ無表情になると、さらに少しずつ表情を失い、やがて銅像のような、まるで何かの作り物になったような姿へと変わって行き、ここで私は目が醒めた。

夜中の1時頃の事だった。
幼い頃から眠りの浅い私は小学校高学年頃から「金縛り」に悩まされ、それは結婚してからも続き、やがて子供が生まれると同時に、体が悪くなって行った妻を起こさないようにと、何本も哺乳瓶を用意して、子供が夜中に泣く前に自分が目を醒ますようにし、今に至っては2部屋離れた所に寝ている父親が、再度脳梗塞を起こさないかと、僅かな物音や震動で目を醒ます。

「ああ、夢だったのか・・・・」
私は号泣している状態から目を醒ましたことも有って、確かめる意味から思わず自分の目に手をやっていたが、私は夢の中だけではなく、どうやら現実でも泣いていたようだった。
だが私は不思議と自分が夢で号泣していても、それを寝言で出してしまう事は有り得ない事には確信が有った。

なぜなら私は幼い頃から必ず口を閉じて寝ているからであり、それは働いている家族を夜中に起こして迷惑をかけない為にそうなって行ったものだったが、今年4月に死んだ母に夢で会って号泣していながら、それすらも現実に口に出せない自分が悲しく思えた。

私は仰向けに寝ていながら周囲を見回した。
薬を飲んで寝ている妻は軽いいびきをかいていたが、辺りは静寂そのもの、しかしその薄暗い部屋の中に私は何故か「決別」の文字を感じた。

「もう帰って来ないのか・・・」
私はどうやら母がどこか遠くへ行ってしまう、この世とあの世くらいでは無い、もう二度と会えない所へ行ってしまうような気がした。

もしかしたら母も一区切りが付いたのかも知れない。
あれだけ心配していた米も、何とか私一人で例年通り作ることができ、小作料も全て払ってしまい、後僅かに片付けの仕事は残っているものの、どうやら1年をやり繰りできた。
きっと母は「これで何とかなる」と思ったのかも知れない。

生前母は「死んだ者ほどおぞい(何も出来ない)者はいない」と言っていた。
そうだ死んでしまえば、どれだけばか者であろうと、生きている者にはかなわない。
母の思いは分からないが、生きている私は母が別れを言いに来た、そう思うことに決めたのであり、悔しかったら生き帰って見るが良い。

これまで多くの尊敬する、また心から慕った人間を失ってきた。
自殺が母を含めて5人、50歳代で病死した者が7人、皆私が目標としてきた、或いはこの者だけは失いたく無いと思った者達ばかりだった。

私は布団の中でそれら一人一人の事を思い出していた。
後から後から涙が溢れ、朝の4時まで一睡も出来なかった。
だが、もうこれで涙はお終いだ。
今まで自分が泣いていては、全ての現実が乗り越えられなくなる、そう思って絶対人前では泣かないようにしてきたが、これからは例え一人の時でも、もう二度と再び泣くまい。
これが最後の涙だ。

いつか自分も死んで、先に死んで行った者達と会えたなら、彼らをして「良くやった」と言わしめることは程遠くとも、せめて「まあまあだった」とぐらいは言わしめたい。
泣いている場合では無い。

4時43分・・・。
さあ、今日も一日が始まる。
未来が首を長くして待っている。
走って走って、いつかその先の未来を追い越してやる・・・。

※ 本文は2011年12月6日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。