2019/06/24 20:31

地震発生前に動植物が示す異常行動を解析すると、それが地震を何らかの理由で察知している可能性が一つ、そして地震以外の理由で異常行動を示している可能性が一つ、最後にその個体の特殊事情が比較的広い範囲で発生する可能性、これは例えばウィルスの感染などがそれに相当するが、こうした3つの可能性に大別する事が出来る。

その上でこの3つのケースの中で、通常行動ではない異常行動が地震発生を予見していたする可能性を最大33%とするなら、動植物の異常行動が3回有った内、その中の1回が地震を予見している事になるが、その3回の異常行動の何回目に地震が発生するかと言う確率の確定性は、同じ事象の複合性と、他の異常現象の増加によってしか担保されない。

つまり、動植物の異常行動が地震を予見している確率はその事例が多くならないと確定性が低いのであり、これに実際の地震発生時に措けるエネルギー解放のタイミングの平均数値は、やはりほぼ32%であることから、地震発生エネルギーが「極」を迎えても、実際に地殻や岩盤が破断し、断層が動く確率の平均も大体3回に1回であり、それが何回目に来るかは分からないものなのである。

だから地震発生前、間違いなく地殻エネルギー変化を捉えて動植物が異常行動を起こしたとしても、それで地震が発生する確率も3回に1回と言うことになり、ここに例えば動植物の異常行動が、ある特定の種のみにて発生した場合の確率は常に動いている数値となるが、その平均数値はほぼ3%と言う事になり、これに他の物理的異常現象が加わって行くと、最大で15%前後の確率になり、この確率が低いかと言えばそうではない。

実に7回に1回が的中する確率であり、地殻や断層が動く場合、その7回が1日で発生してくる可能性も、2年後に発生する可能性も持っている。

従ってここで人間が取れる判断と言うものは、動植物の異常現象が頻発した場合、呪いの人形の部分である地殻や断層エネルギーを換算しないで、異常行動のみの33%を想定するのが実態に則した確率と言うものになり、その3回の内最初の1回目に大地震となる確率も33%かと言えばそうではなく、ここで冒頭のサイコロを10回振ったとして、最初の3回で連続して1の目が出る可能性が、「ランダム」の中の「非ランダム」に存在する事から、平均数値は33%でも、それは安定した数値統計とはならないのである。

それゆえ地震発生の前に起こる動植物の異常現象では、まずそれが広範囲に発生した場合、最初の1回目から警戒すべきなのだが、これを妨げているものは人間社会の「経済」と言う部分であり、ここに本来自然災害に対する基本的責任が「自己責任」にしかならない事を知りながら、「安全基準」などと言う全く根拠のない数値目的、希望的観測を政府や行政が定めた場合、本来誰か特定の人間や、その人間が集合した組織などが責任を負いきれない、「自然」と言うものを人間が担保すると言う「矛盾」を発生せしめ、やはりここでも人間は「法」と同じ過ちを冒す。

本来自然災害に対する供えや防御策は「生きる」と言う生物の本質に鑑みるなら、それはその責任は個人に付託されなければならないが、この事を権威である研究機関や行政が数値を示して基準を設けると、その数値以外は全て個人の責任が免責されたかのような現象を起こし、結果として実際に災害が発生した場合、政府や行政は責任を負い切れなくなり、勇ましく、また優しく綺麗な言葉とは裏腹に何も出来ない状態を発生させてしまうのである。

さて、最近どうやら横浜や東海では鯨の子供が砂浜に打ち上げられているようだ・・・。
その事例はまだ少ないが、本来鯨の子供はそんなに頻繁に個体集合から外れる事の無い生物だ。
そして横浜や東海付近にはプレート境界が存在している。
呪いの人形の袖は風で揺れているのか、それとも呪いがそろそろ始まろうとしているのだろうか・・・。

「ランダム」33%がどこかで首をもたげていなければ良いのだが・・・。

※ 本文は2012年1月4日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。