2019/07/12 21:57

疑いと言うもの、また自分の評判などと言ったものは際限を持たないもので、一度気になりだしたら、どこまでも続く心の葛藤となり、蛾の止まりたる音にすら聞き耳を立て、誰かが何か言うてはおらんかと思うものである。
.
そしてそれらのことを気にして怒り、人を憎み、また苦しんで、自身も修羅の境地に佇むことになるが、凡そ他人の言葉など、さほどのことはないもので、自身が思うことは他人もまたしかり、言うておるその者自身も既に同じ「場」の中にあり、言わばそうした世界に迷い込んだ者達が、何等の生産も生まないところで、死ぬ生きるの思いをしているものゆえ、鳥瞰(鳥のように上から下界を見る有様)を持って眺むれば、道のはずれで昼寝をするにも及ばず。
.
今から1000年以上前、この時代は「宋」王朝が中国を支配してたが、この2代目の皇帝は太祖の弟である「太宗」がその地位にあり、この臣下で「呂蒙正」(りょもうせい)と言う人物がいた。
彼はその見識と器量の大きさから、瞬く間に「宋」の宰相(皇帝に次ぐ実務者)へと上り詰めたが、彼が始めて参政の任を受け朝廷に仕え始めた頃のことだ。
.
さして目立つほどの偉丈夫でもなければ、それほど利発かつ素晴らしい人相でもない、言うなれば見た目は凡人そのものの呂蒙正を、既に朝廷に仕え始めて月日の長い者、また朝廷の内親達は御簾(みす)の影から指差し、こう言ったものだ。
「こんなつまらぬ者が参政とは・・・」
だが呂蒙正はそんな露骨な悪言、囁きをまるで聞いていないかのように通り過ぎていく。
これに憤慨たのは呂蒙正の同僚であり、彼と同じ時期に朝廷に仕えるようになった者たちである。
「許せん、この私がきっと君の悪口を言った者の素性を調べ上げて、散々な目に遭わせてやる」
同僚は我が事のように怒り、呂蒙正の前で息巻いたものだった。
.
しかし、これを聞いた呂蒙正は慌ててこの同僚に言う。
「君の気持ちはありがたい。だがもし私が彼の素性を知ってしまえば、私は了見が狭いゆえ、きっと生涯忘れないだろう」
「また例え知ったからと言って何になる、彼にまた嫌がらせの一つも言い返すのか、そんなことで人を追い詰めたところで何になろうか、知らずにいた方が良い、その方が得だ・・・」
これを聞いた呂蒙正の同僚は、彼に信服し、それから後、この話はどこからともなく朝廷内に広まり、呂蒙正の器量の広さは皆の知るところとなっていくのである。
.
不如無知、「宋名臣言行録」
朱子学系の書物の中で、おそらく最も人気があるだろう「宋名臣言行録」、その中にある「不如無知」とは「知らないに越した事はない」と言う意味だが、ここに出てくる呂蒙正の生き方は実に鮮やかなものであり、これを人徳ではなく「得」としているところに、更にその深遠なるものが潜んでいる。
.
いわんや感情など全く利益にならないものの為に、それを満たそうとする心は、唯、自身の「狭量」な心を満たすだけのものであり、そこからは生産性に繋がるものが何もないばかりか、そんな小さなことにこだわって敵を作り、有能な者との関係をおろかにするは、之罪なりと言うべきものだ。
.
「説苑」と言う書物の中には、春秋時代、五王の一人として名高かかった「楚」の「壮王」(そうおう)の逸話が残っているが、それにはこうある・・・。
王が久しく家臣を集め宴席を開いたおり、皆で盛り上がっているその時、油が無くなって燭の火が消え、一瞬にしてその部屋が真っ暗闇となった。
.
さて皆酒が入ってのことである。
一人の家臣がその暗闇にこれ幸いと、酒を注ぎに臨席していた美人、と言ってもこれはもしかしたら王の関係者かも知れないが、彼女をからかって着ている服を引っ張ったが、それに激怒したこの美人、その暗闇の中で服を引っ張った相手の冠の紐を引きちぎった。
.
さあ、それからが大変である。
証拠を握った美人は王に、今すぐ燭に油をさして明かりを灯して欲しい、そして冠に紐のない者が私にいたずらしようとしました、と言うことになってきたのである。
.
だがこれに対して壮王は「皆を酔わせたのは自分の責任であるから」と言って美人に詫びると、皆に冠の紐を取るように命じ、これで誰が犯人かは分らなくしてしまった上で、燭に油を差して火を灯させたのである。
.
そして数年後、壮王は「晋」国との戦争で異様な働きをしてくれる武将がいることを知り、彼にどうしてそこまで死力を尽くして自分のために戦ってくれるのか尋ねると、彼曰く、以前宴席にて美人に無礼を働き、あのままだと私は死なねばならぬところでした・・・と言う話が出てくるのである。
.
                                               「不如無知」・2に続く