「経済の摂理」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/07/18 05:49

缶ビールの中に入っているビールの味は、厳密に言えば均一では無い。
重力の影響を受け、或いは器物である缶に存在する質量の影響と、分子が集積しようとする傾向力「電荷を持たない場合のファンデルワールス力」によって、その分子密度が均一ではないからだが、総量が決まっている「場」で発生するこうした不均衡は経済でもその原理は同じである。

地球と言う総量が決定的な「場」に措いて為される行為は全てに措いて「限界」が決まっている。
また「ファンデルワールス力」の本質は分子そのものが球体ではなく、為に発生する電気的不均衡によるものだが、僅かに分子レベルでもこうした状態である事を考えるなら、その分子によって構成されている生物が不均衡から逃れようも無く、更には「電荷」は水と同じように、生物をもこの一つの形とするものだ。

従って地球上に措けるあらゆる存在に均一性は皆無であり、政治や経済に措いても均一性は有り得ない。
しかも総量が決定されている世界では、どこかで集中が発生する事を避けることは適わず、為に「少ない部分」や「消失に近い部分」が発生する事も避けられない。

言わば不平等や貧富の差は自然摂理と言うべきものなのだが、これに綺麗な理想と言うラッピングをかけて、それで人間の持つ権利を謳い、平等感を演出して経済的発展を遂げようとしてきた近代、現代の経済は、あらゆる点で「矛盾」の塊だった。

その構造は集中の状態だった者同士が、その集中を継続発展する為にルールを作り、更には排他的な手法で自身等の権益を保護する為に「協調」が行われて来ただけだったのだが、「有限」の中で「無限」を想定して拡大することはできず、21世紀を迎えた今日の国際社会はこの経済の「矛盾」に対し、未だ有効な対策を見つけられないのは、ただ自然摂理、人間の本質を無視しているからだ。

最初から決定している「総量」では、その中の富もまた決定している。
それを自由競争を謳いながら国際協調するなど、右手で握手しながら足では蹴飛ばし合いをやっているようなもので、ギリシャ経済やEU、日本、それにアメリカ経済が壁にぶち当たるのは至極当然の事である。

「皆が豊かに暮らすことなど出来ない」
豊かさは貧しさによって支えられるものであり、富の集中、分散を均一化することはできず、それを目指すなら人間は力を失う。

経済の選択は大まかには2つ有って、そのどちらも結果は変わらない。
ひとつは「完全自由競争」と言うものであり、一切の規制が無く、力と頭脳で富める者とそうでない者が発生する方式だが、この方式一つが「封建社会」であり、もう一つは決定している富を公平に分散しようと言う考え方で、これが原始共産主義、若しくは社会主義の考え方である。

一般的に「完全自由主義」では民主主義が完全化してくると、個人の意見によって国家が影響を受けやすくなり、また高度に成熟した社会は劣化した状態を嫌うことから、経済が行き詰ると「公平感」や「平等感」を求め、それによって安心する社会になって行くが、この先に待っているものは「共倒れ」である。

また一方「原始共産主義」では、スタートが最低ラインの均一化から始まって、そこから発展していこうとするが、ここで発展する場合は個人に対して「自由競争」の部分が無ければ意欲が削がれることから、「限定自由主義」を付加しながら発展を目指すうちに、いつしか「完全自由主義」になってしまう。

だが、「完全自由主義」でも「原始共産主義」でも、均一化された社会は「暗い社会」であり、ここではほとんどの人が限界に近い状態でかろうじて生きている事になり、方や「競争社会」では少数の強大な力を持つ者と、そうではない大部分の者が存在する社会が発生し、多くの人が不満を持つが、いずれにしても全ての人が「まあ、仕方ない」と思って暮らす社会か、それとも少数が豊かで、大部分が苦しい社会となるかの差でしかない。

そしてこれは国家どうしを比較する事はできないが、実は死亡率と言う点で、自殺や事故死を含めると、皆が均一な社会と不平等な社会では、全体の死亡率に余り大きな変化が出ていない可能性が有る。
それゆえ今日国際社会を鑑みるに、経済破綻に対して取られる政策が、バブル崩壊時の日本の政策と全く同じで、力を必要する「正義」の選択が蔑ろにされ皆が助かろうと言う優しさに、「原則」を少しずつ削って行く方向が垣間見え、その先に待っているものが、あらゆるモラルや価値観を失った今日の日本の姿に重なって見えてくる。

強き者が生き残り、弱き者は虫けらの如くに滅びる。
これは森羅万象の理であり、こうした事実が有るからこそ人は平等を求め、優しさを求め、人を慈しむ心を持つのではないか。
何かを求める人間の心と「現実」は同じものでは無い。

皆が生き残ろうと思う事は大切だが、弱き者、悪しき者が滅ばない社会は、やがてそこから人間が生きようとする力を奪い、節操のない惨めな社会を生み、人々は更に希望を失ってしまう・・・。