2019/07/23 05:55

「戦争には天才が必要だ。だがその天才が軍の中で如何に生きるかはこの事と同じではない」
イギリス軍第14軍司令官「ウィリアム・スリム」中将はその回想言の最後をこうした言葉で締めくくっているが、イギリス軍の中で間違いなく天才と言われる男がいたとしたら、このウィリアム・スリム中将が回想言で評した男、「オード・C・ウィンゲート」少将ただ一人だろう。

「我々の目標は全ての人間が平和に暮らし、奉仕の共通の機会が与えられる、世界政府機構を実現する事にある」
昭和18年2月、その小柄で痩せた男は薄い唇をしっかり結び、どこまでも青い瞳でイギリス軍特別遊撃隊第七十七旅団将兵達の前に立ったが、少し前かがみな姿勢と静かな声、それに広いひたいと言った具合で、それまでの指揮官のようないかにも軍人らしい感じではなく、どちらかと言えば学者然とした雰囲気に、将兵の多くは拍子抜けしたものだった。

また大英帝国の指揮官であれば必す出てこよう「大英帝国」「国王陛下」「伝統」などの言葉も一切出てこない。
将兵達はこうした言葉を聞き飽きてもいたが、同時に期待もしていたにも拘らず、「オード・C・ウィンゲート准将の口からは最後までこうした言葉の訓示は一回も出てこなかった。

四十歳にしてイギリス陸軍最年少の将官、エチオピア戦争で過酷な戦争を卓越した戦闘能力で切り抜けてきた「恐るべきゲリラ戦の指揮官」、そう言った異名を持つウィンゲート准将はこの七十七旅団を経て少将となるが、第二次世界大戦と言う過酷な戦争の中に有りながら、また自身がその戦争の中で軍を指揮しながら、「何かもっと大きなもの」を見ていたかも知れない。

おそらくそれは彼が持つ「宗教観」であろうし、その宗教観に裏打ちされた絶対的な自信ではなかっただろうか。
それゆえただもの静かと言うだけではなく非社交的で、このような大戦中でありながら、所詮は植民地に出向いて来ている気楽さから、イギリス軍将校達の間では毎晩のように調達した女連とパーティーが行われていたが、ウィンゲート少将はこのようなパーティーには1回も出席したことがなく、上官が命令したした場合のみパーティーに参加すると言った具合だった。

また一方作戦会議でも殆ど発言はしないが、その代わり口を開けば妥協の余地の無い断定的な意見であり、この事が「独善的」と言う影の評価を生み、人付き合いの悪さから「ごますり男」だの「出世至上主義」だの言った評価も出てくるのである。
事実彼の評価は絶対的な信頼か「はなもちならない男」のどちらかであり、「ペテン師」「偏執狂」、アラビアのロレンスの再来」「天才」と言った具合に両極端な評価に別れている。

昭和18年2月に第七十七旅団の指揮官に着任したウィンゲート少将、第七十七旅団の任務は日本軍のインフラを破壊する事にあった。
ビルマ北部に潜んで日本軍基地の糧秣や弾薬を焼き、道路、橋梁、鉄道網を破壊する任務だったのだが、将兵たちに対する訓練は過酷だった。

完全装備でぶっ倒れるまでの行軍を命令し、休息は木陰での小休止のみ、雨が降るのを待っての泥沼訓練に、ジャングルでの訓練ともなれば「蚊」、すなわちマラリア対策も必要だが、マラリア防薬キニーネの服用を厳命しつつも、「蚊帳」の使用は禁止していた。
つまり「蚊」に刺される事に慣れろと言う訳だが、食料も最小限しか持たせず、チューインガムを噛む事も禁止していた。

知っている人は知っているかも知れないが、実はハッカ入のチューインガムを噛んでいると、飢えや喉の乾きが緩和される。
しかしそれすら禁止し、「蚊」に刺されろと言うのだから、旅団にはたちまち病人が増え、将兵の70%が病気にかかったと申告する事態になる。

だがこうした事態にウィンゲート少将は「病気になる事を禁止する」と命令し、ついでに病人の看護は小隊の先任軍曹が担当すると告げる。
小隊の先任軍曹などどれも鬼のような厳しい人である。
一挙に病気の申告は旅団の3%にまで減少したが、その理由はあまりに過酷な訓練を逃れようとする将兵達が、仮病を使ってこれを逃れる事を諦めたからに他ならず、やがて実戦に突入した将兵達はジャングルの中で、ウィンゲート少将に感謝することになる。

すなわち敵に囲まれた状態で病気になると言う事は「死」若しくは「捕虜」になるかのどちらかであり、病気と言えども究極は諦めるか否かの選択である事を思い知るのであり、同じく敵中に有って優雅に「蚊帳」などつって眠れるはずも無く、ただ蚊に刺されることに慣れるしかない現実が眼前に広がっていた。
孤立無援の攪乱部隊であれば、食料の補給も十分では無く、当然食料は不足し飢餓との戦いになり、そこでチューインガムの味など論外だった。

少将の厳しい訓練、その意味は作戦の遂行にあり、しいては将兵を如何にして殺さずに任務を全うできるかである。
実践に即した厳しい訓練こそが将兵の生命を守る唯一の方法だった。
ジャングルで実戦戦闘に入った将兵達は初めてその事に気がつき、それまでは影で少将に対して不満を唱えていた者たちまでもが、少将に対して絶対的な信頼を持つようになっていった。

第七十七旅団の作戦はゲリラ戦である。
従ってこの作戦は2ヶ月で完了し、昭和18年5月前になると、七十七旅団は分散し、日本軍から逃れるようにインドへと撤退した。
敵に追われ、息も絶え絶えになりながら撤退するさなか、ウィンゲート少将は月明かりの下でプラトンの対話集を読みふけっていた。
疲れきっている将兵たちには見向きもしないその態度は、ある種の高慢さ、高下駄な印象があったが、将兵達はこうした少将を囲み、誰も不平をこぼさず次の命令を待っていた。

もはや自分たちの命はこの人にかかっている。
そしてその人は月明かりの下で平静としている。
この高慢さこそが将兵の希望だったのである。

                 「月明かりにてプラトンを・・・」・2に続く。