「廃用原理」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/08/25 09:19



同じメーカーの同じ車種の自動車を買っても、それから2年も経過すると、それらの自動車の性能には顕著とまで行かなくても「個性」が発生し、これは他の例えば文房具、パソコンなどでも同様の事が起こってくる。

しかし人間の場合、こうした傾向は工業生産品や人工物より遥かに深い傾向となり、このことから「個性」とは突出とその突出の為の周囲の劣化である事が分かるが、個性とまで行かなくても通常の生活でも、「使う機能」と「使わない機能」では「使わない機能」の劣化が激しくなり、これは身体的機能に限定されず、社会的な関わりに措いても「使わない機能」は加速度的に後退して行く。

宇宙飛行士が1週間、宇宙空間と言う「無重力」状態に体を置いただけで、体の運動機能、筋肉は萎縮し始めるが、これは人間の身体機能に一定の枠が存在し、しかも状態としては常に「限界」に近いところに有る事を示していて、このように限界に近い人間の体は、その瞬間に必要な機能やエネルギーをやり繰りしながら我々に日常生活を営ませてくれている。

それゆえどこかでいつも同じ場所を使うようになると、そこに通じる道は大きくなり、情報もエネルギーも頻繁にやり取りされるが、その分どこかで余り頻繁に使わない機能はどんどん萎縮して行き、最後はその機能そのものが消失する事から、いわゆる医療の現場では「安静状態」の短縮化、しいては「安静入院の短縮」が図られるのであり、一般的には「もう病院を追い出されるのか」と言った感触を持つ早期退院化の推進も、元々の考え方としては高齢者の運動機能の萎縮を進行させない為のものだった。

そしてこうした機能消失は男女の性機能でも発生してくるが、どちらかと言えば男性よりも物質欲が若干勝る女性の性機能、つまりは男性に対する欲求は、他の第一次欲求に代表される「食」、若しくは他の快楽に転嫁していき易く、男性のように感覚的性感性の場合でも、例えば「仕事」や「事業」などに転嫁されやすくなり、この事と社会的な環境の不備により、相対的結婚観が失われつつある現象を生じせしむる。

更に昨今大きな問題となっている無差別殺人、異常性犯罪に措いても、これは一つの精神的機能消失現象と考える事もできる。
運動しなければ筋肉が萎縮して行くのと同じように、社会的関係の減少は加速度の付いた社会的疎外状態を引き起こし、やがて自我とその自我が想定し得る社会の中でしか物事を考えられなくなり、これが何かの機会で実態社会での非整合性と出逢った場合、その自我でしか想定できない個人の社会感覚は破綻、若しくは極端に肯定され、あらゆる常識や道徳観念を失う。

この事が今日、社会常識やモラルを全く無視した犯罪が発生する原因ともなっているようにも考えられ、この傾向の諸原の一つはインターネット依存症に見る事が出来る。
あらゆる社会的関係よりも、インターネット上のことが優先される生活を送っている人の言動は、常に会話の展開に連続性がなく、関心のない事は全く話を聞かずに次の行動に移ってしまうが、これは実態する人間的な感覚の消失現象であり、即ち相手や人の立場を全く考えない状態になり、こうした傾向が普通のように連続した状態となっている。

その為、現代社会は被害者意識が立場上の高さを意識させる社会となり、何かで事件や事故が発生すると、「誠意」の名のものとに徹底的な攻撃が許容される社会になりつつ有るが、例えば事故などはいつ何時、自身がそれを発生させるに至るか予想できないと言う想像力を消失させているのであり、これを言うならスポーツ観戦や、その応援にも同様のイマジネーションの消失が伺える。

勝利を目指したいのは人間であれば誰でも同じだと言う事を考えず、自国選手のみを応援し、はるばる異国の日本を訪れ、試合をしている外国人選手に対する人道上の敬意が全くない。
自分の国の選手が勝てばそれで良いような有り様は、想像力の欠如以外の何ものでもなく、もし自国の選手が海外で同じような目に遭ったとしても、それでも日本と言う国は勝負に礼節のある国である事を示す余裕と言うものがない。

個性は周囲の劣化であり、これが低レベルな場合は「個性」にまで至らない「並」が特化したもののようになり、そこで起こる事は弱さがひっくり返った傲慢さであり、劣化の中の「並」に対する過剰な希望は、卑屈な行動を肯定し、これに異議を唱えるものを非常識とするに至る。

「使わない機能は失われる」
言語や考え方、思想もそれが使われない状態だと失われていくものであり、国家や民族にとって最も大きな敵は「無関心」と「道徳の欠如」であり、常に「仕方がない」を繰り返していると、「仕方がない社会」になって行くのである・・・。

本文は2012年5月25日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。