2019/08/31 06:50
「石油の一滴は血の一滴」、これは第一次世界大戦当時のフランス宰相クレマンソーの言葉だが、石油が「戦略商品」と言う感覚はこの時代から始まり、確かにその後の太平洋戦争勃発の原因は、アメリカによる対日石油禁輸政策が引き金になっているが、当時の石油消費傾向を見てみると、それは殆どが「軍需物資」だった事が分かる。
第二次世界大戦当時、石油は発電や輸送用にも使われない訳ではなかったが、例えば当時の日本の石油需要の42%が軍事用であり、こうした傾向は他の国々でもそう大きく変化するものではなかった。
しかしアメリカではこの当時から既に自家用自動車が普及し石油が一般商品化し始めていた。
このことから結果的にアメリカ一国が、石油商品に関しては抜きん出たシステムを持っていた。
それが石油カルテルと言うものであり、第二次世界大戦までは世界の62%の石油をアメリカが生産し、石油産出国も二桁を超えない程度でしかない状態で、アメリカ、イギリス、オランダの国際石油資本、いわゆる7大メジャーがカルテルを組んで石油市場を完全に支配していた。
太平洋戦争当時、何故日本に対して石油禁輸を徹底できたかと言うと、こうした石油市場の独占性が存在したからだ。
だが1960年以降、軍需エネルギーはより効率的で莫大なエネルギー量を持つ「核」や「プルトニウム」に移行し始め、石油は産業、発電用に需要が変化し、しかもこの消費は爆発的な発展を遂げ、その後は自動車の普及などによって交通、運輸需要へと変わって行ったが、日本のように資源の少ない国は、相変わらず他の諸国より若干産業用エネルギーに占める需要が高いものの、現在に至っては石油の世界的な産業用の需要シェアは大幅に低下し、軍需シェアに至っては限りなく0に近い。
つまり石油はもう「軍需物資」でもなく、また小麦のように産業の基盤を支える独占的シェアを持つ商品とは別の商品になっているのであり、この意味では「戦略商品」ではなくなってしまっているのである。
また第二次世界大戦当時は存在した7大メジャーなどの市場独占カルテルに付いても、現在では石油産出国も70以上になり、1940年代は水も漏らさぬ完全カルテルだったメジャーの市場独占率は、現在では10%以下でしかなく、市場独占能力は完全に失われている他、OPEC(オペック・石油輸出国機構)でも市場独占率は30%台でしかない。
その上に現在では中東の石油産出シェアも30%以下であり、結束が難しいOPECのカルテルは「擬似カルテル」であり、市場独占能力は存在していないのであり、現在の国際石油市場の寡占率は、あらゆる商品の中で最低レベルにまで落ち込んでいる状態なのである。
こうしたことから石油は市場流動性の最も高い商品であり、あらゆるエネルギー源の中で最も商品性が高い、言い変えれば市場流出量が不足しない商品だと言うことだ。
太平洋戦争勃発時、幾ら金を積んでも買えなかった石油だが、それ以降の時代で同じ事が存在しただろうか。
1970年代の世界的な石油危機の時ですら、価格は高騰し各国とも経済的打撃を被りながらも、後進国は金銭的な理由で石油を買えなかったものの、どの先進国も結果的に必要量を調達できた。
市場から国際経済が必要とする石油量が消えた訳ではなかったのである。
「亡霊思想」・2に続く
本文は2012年、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。