「牡丹の花」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/09/03 18:13



やっと田植えが全て終わった昨日、午後から誘われていた集まりに出席した帰り、毎年田植えが終わったら恒例となっている慰労の為の寿司を買い、母が好きだった饅頭を店に並んでいる分全て買ったが、それはやはり20個程も有っただろうか・・・。

何をするにも大慌て、目を三角にしていた私だったが家に付いて車庫から玄関に向かう道すがら、少し陽が傾きかけた光の中、庭と言うのもおこがましい家の前の土が有る場所に、薄いピンクの牡丹が少し開きかけているのが目に止まった。

或いは夕方なので閉じようとしていのかも知れないが、それは何故か夕日と言うにはまだ少し間がある光の中、浮き上がって見えた。
思えばこの牡丹は私が物心付いた時から毎年こうして白とも言えず、ピンクとも言えずの何とも優雅な花を付けていた。

幼い頃この少し大きめな牡丹が恐かった私は、その美しさの中に何か危ないものを見ているような思いがしたものだったが、それと同時にこの牡丹の中に母や祖母の姿が重なって見えたものだ・・・。

2人とも美しい人ではなく、何の素養もない人だった。
そして幼い頃、少年の頃は2人とも大嫌いだった。
小学校高学年の頃だっただろうか、学校から帰った私はお腹がすいて仕方なく、ふと見れば台所のちゃぶ台の上に、おそらく祖母が置き忘れたのだろう財布があるのを見つけ、悪いこととは思いながらもその中から50円を盗んだ。

そしてその金で自転車に乗って近くにある雑貨屋まで行き、アンパンをひとつ買って食べたが、夕方、運悪く10円玉が6個しか残っていなかった内、50円が無くなっていることに気づいた祖母にみつかってしまい、これを追求される。

内心「しまったこんな事なら何枚か有った100札を盗んでおけば良かった」と思いながらも自分が盗んだと白状した私は、祖母の言い付けで正座して両親が帰るまで待たされることになった。

母は厳しかったし妥協がなかった。
すぐさま警察に電話し、「こんな子供を持った覚えは無い、牢屋に入れて反省させてくれ」と、電話で駆けつけた警察官に言い、私には着替えなどの風呂敷包を持たせたものだった。
しかし流石に子供が50円盗んだからと言って留置場にぶち込む訳にも行かなかったのだろう、その警察官は私に2度とものを盗んではいけないと注意し、母にこれで勘弁してやったらどうかととりなしてくれたのだった。

そう言う人だった。
建前も本音もない、言葉に出たらおしまいの人だった。
恐かったし、煩いとも思っていた。
だから一刻も早くこの家から出たいと思っていたのだが、今にして思えばこうした母が有って私はそれ以降盗みをせずに済んだのかもしれないし、言葉は何としても守ろうと思うに至ったのかも知れない。

饅頭や大福餅が大好きで、若い頃大福餅を20個食べて、それで夜中に腹が痛くなった事を豪語していたが、私が今日に至っても大量に饅頭を買ってしまうのは、こうした話がどこかで心に残っているからかも知れない。

また母がいた頃はこうして田植えが終わって家族慰労で寿司を食べるにも、余分なものを買わなかったから、私はどこかで子供や両親達の様子を伺いながら寿司をつまんでいたが、今はもう余るくらいに寿司を買い、誰に遠慮することなく食べれるようになった。

しかしどれだけ食べても味がしない。
遠慮しながら食べていた時の寿司の方が旨かったし、どれだけ仏壇に饅頭を積み上げてもどうにもならない。

おかしなものだ・・・。
去年は全く花を付けなかった牡丹が植わっている隣の霧島が今年は赤い、本当に濃い赤い色の花をたくさん付け、今はこれもまた力強い緑の葉をたくさんつけている。
仕事場兼車庫の1階部分には今年は早くからツバメたちが大勢やってきて、まるで毎日が戦争のような感じだ。

早い巣ではもう一回目のヒナが巣立った所もある。
今にしても幸せとは何かは分からない。
でも少なくともそれは寿司を腹いっぱい食べれる事では無かったし、饅頭を大量に買うことでもない事は分かったかも知れない。

牡丹の花を3本程切り取った私は、それを饅頭と共に仏壇に供えた。
縁側から見える田には、私が植えた苗が一杯に張られた水の中からそれぞれ少し頭を出して遠くまで並び、やがてすっかり傾いた橙色の陽を全ての田が映し出す。

この眼前に広がる現実こそが全て・・・。
この景色が全てを認めてくれる。
人の心を踏みにじった事も、踏みにじられた事も・・・。
失望させたことも、失望させられた事も・・・。
苦しかった事も、悲しかった事も、恨んだことや、憎んだことまでも・・・。
それら全てをまるで微笑むように包んでくれる・・・。

さあ、明日からまた頑張ろう。

本文は2012年6月3日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。