2019/09/12 16:17



毎年暑くなると、この記事に関するお問い合わせが増えていたのですが、Yahooブログのサービス終了に拠り、検索しても出てこないと言うご連絡を受けましたので、再度本サイトでもUPしておきました。
この記事は2010年8月29日、防災の日を前に書いたものでしたが、これ以降日本で猛暑と地震の関係の記事が増えてきたきっかけとなった記事でした。

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ひと昔前になるが、物理学の教書、その冒頭か末尾には必ず宇宙の誕生に関する記述があり、この宇宙は極小となった暗闇に一条の光が差すところから爆発、膨張を始めたと記されていたものだ。
だがこの一条の光はどこから来たのか、何で発せられたのかと言うと、それは分からない、「神の力としか表現しようが無い」、物理学の教書はまたそこに、このような科学の限界も記していた。

そしてこうした科学の限界は今も何ら変わってはいない。
近代科学は因果律、つまり運命論を否定することをしていったが、その先に見えてくるのもはあらゆる物質の存在に対する疑問であり、科学はすべての物質に対して、それが存在する理由や意味を証明できない。
それゆえ現在の地球の科学は現象から引き起こされる事実をして科学と呼び、ここに創造性や意義などと言ったものを問うことはできない。
つまりは科学は事実と、観測によって確かめられた予測、の羅列に過ぎないのである。

だが現実の世界はどうか、そこにはこうして認知された現象、つまり「科学」に当てはまらない現象も起こってくる。
そこでこうした科学の枠を超えた現象を絶対とする考え方が生まれてくるが、これを神秘主義と言い、科学と神秘主義は互いを認め合わない為に、そこには相互否定が発生してくる。
つまりここでは事実よりも「思想」が優先された、対立して閉ざされた世界が広がってくるのだが、このことが実は科学の進歩を遅らせている最大の理由である。

現象や事実に対して謙虚であること、このことを知る者ならば、いつの日か科学と神秘主義はその垣根を越えて、ともにその先に真実を探ろうとするに違いない。
実に科学の本質とは「想像と疑問」にすべてが帰するものと言えるのではないか・・・。

1923年8月、この年の日本、特に東京の気候は異常な高温と、連日発生する雷や正体不明の発光現象で尋常ならざるものとなっていたが、人間の感覚とはおかしなものだ、それが1度のものなら3日もすればほとんどの人がすべて忘れ、異常なことでも毎日続けばそれに対する異常性が失われる。
1923年に起こった関東大震災では、地震発生前に多くの異常がありながら、苦しい生活に追われる大人たちは、その異常を異常として捉えることができなかった。
それゆえ関東大震災前にもっとも「何かとんでもないことが起こるのではないか」と感じていたのは、実は多くの子供たちだったのである。

「柏木みやの」さん(旧姓)は当時9歳だったが、両親の都合で1年間ほど品川の叔父夫婦の家へあずけられ、彼女はそこで1922年7月から、1923年8月28日までを過ごす事になるが、このとき1923年8月に起こったことは一生忘れないと話している。

8月半ば過ぎごろから、裸でいても蒸し暑くていられないほどの天気が毎日続き、その上いつも夕方6時ごろになると、大して天気が悪くも無いのに、空から太鼓を打ち鳴らすようなドーン、ドーンと言う音がやはり毎日聞こえ、湿度なのか汗なのか分からないが、いつも夕方には着ている服がずぶ濡れになった。
それで叔父夫婦にもこのことを話したのだが、彼らの返事はいつも「ああ、そう」でしかなく、そうこうしている間に両親が迎えに来て彼女は福島へ帰るのだが、彼女たちが福島へ帰ってから3日も経たない間に関東大震災が東京を襲ったのである。

また当時横浜鶴見に住んでいた「新澤喜三郎」さんは当時10歳だったが、とにかく暑い日が続き、それが夜になると今度は蒸し暑さになってきて、さらに夕方7時か8時ごろになると、いつも必ず雷のような音がして、でもおかしなことにはこの雷、外へ出てみると、空の一点からまるで水面に石を投げたように光が広がっていくことで、真っ青な光だった。
それが8月20日過ぎごろから毎晩続き、喜三郎さんの両親もそれを見て不思議がっていたが、やがて両親はこうしたことが毎晩続くことから、しまいには見に出る事も無くなった、しかし喜三郎さんは子供ながらに実に異常な光景だった・・・、と話している。

そしてこれは1995年に発生した「阪神淡路地震」(阪神大震災)だが、この地震は1月17日に発生しているが、この前年の1994年、日本は大変な猛暑に見舞われ、その猛暑による経済効果が1兆円とも言われた、記録的な暑さだった。
また1995年1月の神戸の気温は、最高で17度と言う気温の日があり、明らかに1月とは思えない気温の高さが地震発生の前には観測され、人々もどこかで「何かおかしい」と思いながら暮らしていたのである。

さらに2007年の能登半島地震、ここでも前年の2006年は北陸が大変な猛暑に見舞われ、能登半島地震は3月25日に発生しているが、神戸と同じようにやはり例年だと積雪があるはずの能登半島は、1月、2月と温暖な天気が続き、住民は「もしかしたら大きな地震でも来るのではないか」などと話していたのである。

1923年、関東大震災をその年の1月から予言していた易学者「小玉呑象」(こだま・どんしょう)は、その著「地震の予知」でこう語っている。
「地震が起こるときは、温暖な気候のものなり」
1703年「元禄地震」、1707年「宝永地震」、1828年「越後三条地震」、1847年「善光寺地震」、1854年「安政東海地震」、同じく1854年「安政南海地震」、1855年「安政江戸地震」、1923年「関東大震災」、いずれの場合でも地震が発生する前には「暑さ」が関係している。

そしてこのことをして間違いなく地震が来るとは言えないが、統計上暑い気候の年や、その半年後には大きな地震が起こっていることもまた事実であり、多くの地震でその現象が確認されている雷のようなドーン、ドーンと言う音だが、これも気象庁は因果関係が確認できないとして、地震の前兆現象とは認めないが、多数の日本人が確認している事実であり、少なくともこの雷に似た「音」ぐらいは、地震の前兆現象と認めるべきものだと私は考える。

9月1日は「防災の日」だが、これは関東大震災が1923年9月1日、正午近くに発生し、東京が火の海となって10万人以上の人が、焼け死んでしまったことを教訓とするものだ。
防災で大切なのは科学的であるか否かではない、すなわち「生き残るためなら科学でも、例え迷信や言い伝えを使ってでも良いから、何としても生き残る」、このことに尽きる。

最後に、1923年、関東大震災が発生し東京が劫火に焼かれた直後、当時の文壇の著名人、芥川龍之介、田山花袋、生田長江、竹久夢二などは一様に同じ感想を述べているが、それは基本的に「そら見たことか・・・」と言う言葉である。
国家は堕落し、政治も腐敗の極みを向かえ、人々の心は拝金主義によってモラルを失った大正末期の日本、彼らの目には極限を超えた堕落は、もはや人間自らによっての自浄能力ではいかんともし難く、救いは巨大災害しかなかった、そのような壮絶な見識が感じられる。

2010年、この暑さと、そしてこの日本の在り様である。
何も無いことを祈ろうか・・・。