2019/10/21 07:53

一国の軍隊に措いて、そこに所属する兵士達の士気を乱すもの、或いは組織内に不満が積み重なる原因となるものは、例えば軍律を犯して懲罰を受ける時の処罰の重さにそれが起因するのでは無い。
処罰に不公平が存在する事が最も大きな原因となるのである。

三国志演義にも同様の命題が出てくるが、後世諺ともなった「泣いて馬謖 を斬る」と言う言葉は、その軍律、「法」が持つ公正さの重要性、それを運用する者の公正さによって法が守られ、その法の持つ公正さが現状を担保する事を説いている。

蜀漢の軍師「諸葛亮孔明」は、部下であり愛弟子とも言える馬謖 (ばしょく)の判断ミスによって自軍が大敗を喫したとき、泣きながらでも軍律に従って馬謖 を斬った。
そして「法」の権威とはこうしたものである。
「法」は唯これが存在するだけでは効力が薄いものであり、懲罰が課せられる「法」で有るなら、その懲罰の正統性を担保するものは「公平性」だけである。

従って「法」の運用に当たって、その法を行使する者が如何に公平性を保てるかによって「法」の権威や重要性は変質し、これに公平性が無く恣意的な事情、感情などが加味された場合、その法は法としての権威を失い、法であることを失効するか法の権威が著しく貶められた状態となり、結局はその法を行使しようとする者自身の前に阻害要因となって立ち塞がる事になるのである。

そしてこうした事は何も軍隊ではなくても、「法」と言う大袈裟なものでは無くても、我々の一般生活でも同じことが出てくる。
社内規定が有りながら、その実親族ばかりが昇進していく会社で働く親族以外の会社員は、その会社に忠誠を誓えるだろうか、また会社の利益が己が利益と考え、仕事に奮闘できるだろうか・・・。

更に町内会などの自治組織はどうだろうか、親しい者同士の中で行政からの情報が共有されていても、そう親しくない者の所には情報が来ないとしたら、その自治組織は信用できるだろうか、或いは同じちょっとした連絡ミスをしたときに片方が簡単に許され、自身が自治会の役員会で厳しく追及されたとしたら、次回からその自治会の意見を尊重できるだろうか。

「法」や「規則」が持つ権威は、法が適用される側の品位は問わないが、それを適用する側に品位が無いと成立せず、ましてやそれが直接の結果に関係の無い行為をして、処罰が軽くなったり重くなったりではますます法の権威を落としてしまう。
つまり「法」の権威とは「運用に当たる人間」と言う事ができ、この事から「法」はまた「人」なのである。