「他にいなかった・でも誰でも良かった」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/11/04 15:08



DNAを作る塩基は4種類、たんぱく質を作るアミノ酸は20種有って、塩基3個の配列によってアミノ酸が決定する。
従って人間の遺伝情報が如何に膨大なもので有ろうと、その本質は4種類の塩基配列でしかない。

我々人類はこうした状況の中、生物界に措ける自身の地位を特殊なもの、崇高なものと考えがちだが、例えば個体発生に関わる男女の区別の中で一番顕著な相違が有る生殖器の分化形成にしても、その発生段階では男女2つの原基が作られ、その後に男女どちらかに分化していくように、初めから決定的なものでは無い。

また友人の友人と言う具合に、6回人を辿って行けば、全地球の人間に行き当ると言われるほど我々の世界は狭い。
それゆえ個々の人間は自分そのものを唯一の存在と考え易いが、その現実は塩基配列と環境配列の組み合わせによる「その他」の集合なのであり、2種の基本パターンの組み合わせによって発生した「亜」の連続体である。

この事から我々人類が描く「運命」と言う概念は生物学的に否定され、「自己」と」他」は細胞表面に存在している「組織適合抗原」(histocompatibility antigen)よって決定的に区分されているのであり、「特殊」と「亜」と言う基本に対する「小異」の概念は、近いか同じものと言う事ができる。

つまり人類のみならず生物の全てが基本形に対する劣化、変異なのであり、ここで言われる基本系は初めから存在してない基本と言え、人類が考えている基本系はいつかの時点から現在までの時間経過中の一形態に過ぎない。
ウィルスは生物の特性の半分を放棄した「半生物」だが、環境によって僅かな時間で変化していく様子と、人間それぞれが近い形をしていながら、全く同じ表面積や風貌が有り得ない事とは同じである。

生物はそのそれぞれが「選ばれし者」で有りながら、「劣化した者」でも有り、この点では「劣化」と「進化」は同義を持っているが、人類も他の生物も生殖や細胞分裂、細胞の安定過程では環境を加えてこれが決定され、その情報が後に伝えられて行く事から、人類のように「社会」が環境の全てである生物の場合、生物的基本条項を無視したものとなり易い。

海の中もジャングルも、人類が形成する都市もその思想も唯の環境でしかない。
人類は何かを作れる事をして、或いは考えたりすることをして、自身に他の生物との優位性を見るかも知れないが、海水に適合する魚も、社会や思想に適合する人類も同じ「環境適合」であり、本来海やジャングルに優位性が無く、人間社会に優位性が有る訳ではない。
考えることができると言うだけで、人類が生物的に他の生物より勝っていると言う確証など存在していない。

そしてこれは「自己」と「他」に措いても同じことが言え、我々は自身やその親族、友人知人、或いは恋人でも良いが、それらを特別なもの特殊なものと考え、自身は唯一無二なものと考えるが、本質は「その他」の中にある。
言わば「どうでも良い存在」でも有って、「誰でも良かった」のである。

自分が生まれて来たとき、そこで親が選択できたかと言えば絶対選択など不可能であり、そもそも自身が誕生したいと望んで誕生する生命など有り得ない。
従って生物の本質は初めから自分の意思などと言うものを持っていないのであり、環境容認、または追認なのであり、これに何とか根拠を持たせようとするところに「運命」や「特殊性」が有る。

基本的に地球に生息する生物は、その生体維持に関するエネルギー源が太陽エネルギーによるものだ。
プランクトンや植物が行う光合成などに始まり、それを捕食する食物連鎖の中で全ての生物の生体が維持されるが、社会を持った人類はこうした地球上の生物が持つハードの原理をクリアした後、その思想や感情と言ったソフト面に重点を置いて行ったが、その延長線上に「人権」や「平等」などと言ったものが存在する。

だが現実には地球や宇宙の原理は如何なる生物もその存在の確定を許してはいない。
つまり今日生きていたから明日も生きられる保証が得られている生物は唯一つとして存在していないのであり、この点に措いて人間社会の「基本的人権」は一つの理想であり、現実では無い。
また国家の理想、国際的な有り様も全てが現実では無いものを絶対的なものとして構築しているが、これらは地球的な規模の環境変化によって簡単に吹っ飛んんでしまうものである。

日本人がその生体維持に関して消費しているエネルギー、食物消費エネルギーは、一日当たり10000kジュールと言われているが、日本人が社会生活を維持する為のエネルギーは500000kジュールを超えている。
従ってこれは日本人だけに限った事ではないが、人類はその生体を維持するエネルギーの50倍のエネルギーを、快適性や利便性のために消費しているのであり、これは化石燃料と10%程の原子力エネルギーである。

ゆえ、人類は太陽エネルギーから得られる食物エネルギーの50倍以上を「気分」の為に消費している事になる。
「いやそうでは無い、太陽光発電や風力発電も有る」と言う人もいるかも知れないが、これが最も愚かな考え方で、それが生産される時のコストエネルギーは軽く削減されたように見えるエネルギー量を超え、しかもそれは消耗品である。

人類の持つ社会はお互いが何とか守ることのできる「約束」であり、この社会は絶対的なものでは無い。
にも関わらずその社会を維持するために、生体維持エネルギーの50倍ものエネルギーが消費されている現実を鑑みるなら、こうした社会が長く維持されることは有り得ず、やがて大きくエネルギー消費が地球と言う絶対的な理不尽によって解消される日が来るのは道理であり、その時になって始めて人類はその個々が「どうでも良い存在」、「誰でも良かった」事を知るに違いない。

そしてその日は決して遠い未来では無く、もう足音が聞こえ始めている。
日本人に必要なものは「優しさ」や「絆」ではない。
生きるためには形振り構わない「生物の非情」であり、この非情が有って始めて優しさを知ることができる。
自身の現実を無意味だと認識したところから、その人間の価値が始まっていく・・・。