2019/12/08 07:53

208年、江南に覇を伸ばそうと進軍した魏の曹操、これに対して荊州を奪い曹操に対抗すべきと具申した軍師「諸葛亮孔明」の策は「劉備玄徳」によって退けられ、為に劉備軍は10万を超える領民を引き連れ江南に向かって逃走していく事になるが、「長坂坡で曹操軍に追いつかれ大敗を喫し、「夏口」へ落ちのびる。

一方江南の支配者「呉」では「孫権」が座して曹操の進軍を待つのみの状態となり、これを危惧した呉の「魯粛は劉備軍と同盟を結び曹操軍を撃退する事を考えるが、ここで呉だけが頼りとなった劉備軍は魯粛の策にすがり、その大勢が「降伏」に傾きつつあった呉へ軍師「諸葛亮孔明」を説得の為に派遣する。

敗退した劉備軍の軍師の言など聞いてはならぬ、「呉」が劉備軍によって利用されるだけだと国主「孫権」に具申する呉の文官達、これを聞いていた諸葛亮孔明は呉国王「孫権」にこう意見具申する。

「勝利とは如何なる事を以てそれが為されるのか、確かに劉備軍は曹操軍によって蹴散らされましたが、国とは如何に、それは民では有りませんか」
「我が君主劉備玄徳は10万の民を守らんが為に敗走しましたが、戦など例え99回敗けても最後に勝てばそれで良い事、劉備玄徳は戦に敗けはしたものの、この敗けにより10万の領民、その他数多の民から信を得ました」
「これをして究極の、真の勝利と言わずして如何なるものを勝利とお考えか」

三国志「赤壁の戦い」の序盤を飾る一場面だが、諸葛亮の言うように勝利と言うものには二種のあり方が存在する。

基本的に戦いに措いては勝利しなければ意味がないが、ではどんな手を使っても勝てば良いのかと言えば、そこに大義や精神性の失われた勝ち方は後に大敗を喫するか、若しくは戦うもの全体の士気を低下させ、失望を与え、為に本質では敗退以上のダメージを被る時が出てくる。
国家間の厳しいせめぎ合いでは勝ち方など是非もなき事だが、こうした中にあっても諸葛亮は何が勝ちになるかを説いているのである。

振り返って昨今喧しいオリンピックを鑑みるなら、これに敗退したからと言って国家が滅亡する訳でも有るまいに、勝利までの競技試合過程で2位通過して次の戦いを有利に進めようなど、決して実質勝利とはならない勝ち方と言える。
そもそもオリンピックの精神はスポーツを通して友好親善をはかり、人間の限界まで鍛錬を積んだ者達の、その栄誉を称えようとするものだ。

それゆえオリンピックを観戦する者はその勝者を見たいのでは無く、そこに存在する人間的な有り様の崇高さ、全力で闘う者の尊さ、フェアプレー精神の潔さを観ていると言っても過言では無く、ここで金メダルを獲得する為に無気力試合をしたり、わざと引き分けや敗北して次に備えるなどする行為は、全力で戦おうとしている相手に対して無礼であるだけでは無く、全ての栄誉を汚す者となる。
この点に措いては中国、韓国のバトミントン選手も日本代表女子サッカーチームも同じである。

どの面さげて少年少女に全力で闘う事、全力で生きる事の大切さを説くことが出来ようか。
第一実際に戦っている選手の心情を考えるなら、余りにも酷い仕打ちであり、このような指示を出す指揮官、国家と言うものは到底社会正義や国際平和、スポーツマン精神を語るには及ばない。
どれだけ試合に勝っても、最後まで絶対実質敗北の勝利と言うものである。

また柔道などの競技でも問題が発生した「審判」「ジャッジ」などを見ていると、どうも現在の国際社会に措ける人間の価値観が低下、不安定化しているような印象を感じる。
すなわち本質よりも「手続き」に重点が置かれたような印象が強いのだが、これは「法」と同じ原理のように見える。

元来「罪」は自分が自覚することが一番望ましいし、犯罪防止の究極の手法でも有るが、これを厳密にし過ぎると人々は「法」に依存し、自身の責任や自覚を「法」の限界まで怠惰にしてしまい、やがては「法」ギリギリの道徳しか持たない人間が増えて来る。これと同じような姿が見えるのである。

本当の事を言えば勝った、敗けたは自分が一番良く分かっているはずである。
反則もそれをやった本人が一番良く分かっているはずである。
本来しっかりした精神性が有れば審判やジャッジが必要ないはずだが、これを細かくしてしまうと、ギリギリまでは大丈夫と言う荒廃を起こしてしまう。

その上更に審判と言う人間が荒廃を起こしてくると、今度はその審判制度そのものの信頼が失われ、人間の価値観の否定が起こってくることになり、その結果がビデオ判定などの機械依存価値観と言うものである。
高額な放送権料、チケット代金などと合わせて考えてみると、もはやオリンピックに観るべきものは何も存在していないのでは無いか、そんな事を思ってしまった。

誰かがメダルを獲得しても、何のチームが勝利しようと、自分の腹が一杯になる訳でもなく、金が儲かる訳でもない。
ましてや他人が勝利した姿を見て元気を貰えるくらいなら、それは初めから元気だったと言うべきで・・・・、と言うような事を言い易い私は、NHKの大河ドラマ「平清盛」がオリンピック放送延長によってどんどん遅い時間の放送になり、結局朝4時に起きなければいけない事から10時には眠らざるを得なくなり、今週は「平清盛」が観れずに終わってしまった、そのダメージの方が大きい。

幼い頃、自分が観たいレギュラー番組が大人たちのプロレス、野球観戦によっていつも妨害され、寝床で涙をのんでいた私は、それ以降野球やプロレスなどが大嫌いになったが、これだけの年齢になっても相変わらずスポーツ放送によってレギュラー番組が潰れていく状況に、少し苦笑いである。

おそらく少数意見だとは思うが、世の中には約束された時間に約束された事が実行される事に、最大の価値観を持っている者も存在することを記しておこうか・・・。

※ 本文は2012年8月4日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。