2020/04/23 10:11
2007年9月10日招集、第168回国会、改造内閣後初めての所信表明演説で「総理、総裁としての職責を果たし、全力を尽くす」と語った安倍晋三総理だったが、この時既に目はあらぬ方向に泳いでいた。
そして2007年9月12日、初心表明演説に対する野党代表質問の当日、突如として内閣総理大臣を辞職する事が発表されたのである。
実質たった2日の改造内閣だった。
第一次安倍内閣は2006年9月27日からスタートしているが、「お友達内閣」の様相を呈し、郵政民営化に反対していた国会議員たちを復帰させた時点で、発足当初は70%も有った内閣支持率は20%台にまで下落し、相次ぐ閣僚の不祥事、年金未納疑惑問題などで国会は紛糾し、実に70%以上の国民が安倍政権に期待していないと言う調査結果が出ていた。
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙でも、その顔が出て来れば票が減るとして、安倍総理の自民党各候補の応援演説が拒否された状態は異常だった。
蓋を開けてみれば大方の予想通り自民党は大敗、参議院第1党の座は民主党の手に渡った。
こうした事態から、参議院選挙大敗の責任を取って辞職するのではないかとの推測も為されたが、2007年8月27日、内閣を改造して安倍政権の維持を計ったものの、4日後の8月31日には任命されたばかりの農林水産大臣の不正が発覚、相次いで財務大臣、環境大臣、内閣官房副長官の不祥事が発覚、野党の追及は必至だった。
辞職の理由は「病気」だったが、慶応義塾大学病院内で発表された病名は「機能性胃腸障害」、つまり学校へ行きたくない時、急に腹が痛くなる子供のそれである。
当時「テロ対策特別措置法案」、海外軍に対する給油支援に関する法案の野党への説明、相次ぐ閣僚の不祥事に対する任命責任など、解決の付かない問題を抱えていた事から、前官房長官の塩崎恭久は「そんなもの口実だ」と言っているし、海外の観方もまた「敵前逃亡」「解決能力が無く逃げた」としている論調だった。
私もそう思っていた。
そして2020年の今、第二次安倍内閣に措いて、もうそろそろ2007年と同じ事が起こるのではないかと言う気がする。
安倍晋三と言う人物は初めから民主主義を曲解していた。
自身出身派閥やお友達を優遇し、反対する意見を持つ、例えば自民党の「谷垣禎一」元自民党総裁の派閥などは終始冷遇してきた。
近代民主主義は元々、資本主義のリスクを挟んだ両側投資と原理を同じくする。
為に、リスクとなる少数意見を如何に利にするかと言う思想が無ければ理解し得ない。
ゆえ、民主主義の原則は、少数意見と多数意見がどう折り合いを付けるかと言う事なので有り、対立する意見を抹殺して冷遇するは、「専横」と言い、民主主義にはなじまない。
加えて第二次内閣でも前回の経験が全く生かされず、お友達で内閣を作り、それがまた器の小さい不正ばかりで、自分も政治と個人の区別が付いていない。
日銀を政府の支配下に置き、紙幣を印刷する手法は、長くて2年で辞めておかないと、麻薬と同じで悪い事とは知りながら、止められずに自己崩壊する手法なのである。
のらりくらりしていても、他の選択肢のない国民は自民党を選ぶしかない。
この状況に対する甘えが、これまでの安倍政権だったが、ここに来てウィルス騒動と言う途方もない禍がやって来た。
当然良い政策など出ようはずもなく、またぞろ「お母さん、今日国会行きたくないよ」になっているか、或いは「昭恵、国会行きたくないよ」になってくるのではないか・・・。
おそらく彼女はこの時に安倍晋三と言う人物を見限っていた。
だからこそ、今回のウィルス騒動でも一定の距離感を保っている、と言うより出させるものは出させながら、全く政府など当てにしていないのである。
2007年の時には、偽りの救世主では有ったが民主党と言う受け皿が存在したが、今は自民党内でも野党でも受け座が無い。
このまま行けば2007年の福田政権みたいに、仕方なくやっています内閣が誕生し、問題が解決できなくなったらさっさと逃げて、べらんめーの麻生太郎内閣のように自民党政権が終焉を迎えるに至っても、政権を担える野党が存在しない。