2020/05/11 20:24
古来「流れ星」にまつわる占いは正邪、吉凶の両方の解釈が在り、その解釈の分岐点は占う者、占いを依頼した者の事情、環境によって生じる。
巨星の滅するに似たりで、大きな星の消滅は、小さな鋭い光の新しい星の出現と対比され、これによって既存の巨大な権力が崩壊し、新しい権力の発生を意味するに同じで、個人の単位では「先に在る環境の変化」を意味している。
が、古代中国、メソポタミアなどに見られる「流れ星」の概念は「結果が出る」或いは「変化が起こる」であり、ここでは具体的に吉凶、正邪の区別が付いておらず、従って総合的には「結果が早まる」事を意味していたかも知れない。
難しい問題を先送りしている状況、好意を抱いている者に対して打ち明ける事を戸惑っている者、小さな悪事を働きその発覚を恐れている者に対し、2ヶ月後に来るで有っただろう結果が3日後に来る、そう言う事を意味していただろうが、この因となる環境の変化の質に付いては問われていない。
自然現象や災害、人為的なものを含めての変化だった。
現状が思わしくない者に対する変化とは現状の打破か更なる窮地で有り、現状が好調な者にとっての変化は、もっぱら好調な状態からの崖落である為、恵まれていない者には「希望」、恵まれた状態の者にとっては「恐れ」と言う事になる。
史記に有る「禍福はあざなえる縄の如し」、これはその個人や当事者となる団体側の観方だが、現実の事象に禍福の区別はない。
ただ、その事象が個人や団体の将来に取って、どう作用したかと言う事なのである。
災害はその一面を取れば禍だが、現実には人間に取って禍福の両面を持っている。
それまで課題となっていたもの、問題になって来つつ在った事柄が一挙にあぶりだされ、次の時代にはそれに対処した社会が出現するからだが、この時既存の秩序で何とかしてカバーしてしまえると、問題の解決は先送りされ、将来より大きな禍となって行く。
つまり既存の秩序でカバーできたと言う「福」が将来の「禍」となり、これで破綻したと言う「禍」はまた将来の「福」へと繋がって行く訳である。
2019年末から始まり、2020年初頭には世界を席捲したコロナウィルス・パンデミックだが、この大きな禍は、これまで世界が抱えていた色んな問題をあぶりだし、浮かれた経済思想から人間を正常な感覚に戻してくれた作用を持つ。
国家の経済が順調なら個人の暮らしも安泰、それゆえ政府、民衆共に消費を至上と考えて来た思想は、明らかに異常だった。
ウィルス・パンデミックは「消費」とは誰のための、何なのかを現実的な形として示してくれた。
本当に必要なものが「消費財」なので有って、経済の為の消費は仮想、幻想に過ぎなかった事を明確にしてくれた。
更にはこうした思想に群がっていた過剰な施設、観光と言う虚業性もあぶりだされ、付きまとうようなネットコマーシャルの世界も、これから淘汰が始まって行くだろう。
また本来なら責任を負えない部分まで、自身の領域と考えて来た政治の世界、それに依存する民衆の在り様と言う側面もあぶりだされてきたが、惜しむらくは今回のパンデミックでも、これは改善されないかも知れない。
民衆の中には長く政治や行政の保護、規定に寄りかかって、自身の生きる責任を放棄して来た者が多過ぎる為、これは一挙に改善されない可能性が高い。
事の本質として、自分ができる事は他者もできる。
その反対に自分ができもしない事を他者に望むのは筋違いと言うものだ。
確かに政治には責任が存在する。
が、しかし責任が存在するからと言って、天の采配に抗う能力を得る訳ではない。
現実の厳しい事象に対面した時、自分が呆然となったものは、政治家も同じように呆然となる事を責められるものではく、彼らに課せられた責任は権力を有している分、一般大衆より多くの報酬得ている分、努力をしなければならないと言う程度の事なのである。
ウィルス・パンデミックは大きな禍と言える。
しかしこの禍は将来の「福」にも通じている事を、私は思う。
聖書の記録では、戦争時より多くの敵が隕石落下によって滅ぼされた事が記述されている。
滅ぼされた命とその国家にすれば隕石は最大の凶事となり、これに敵対していた者に取っては最大の天恵となる。
人の世の禍福、吉凶とはこう言う事に過ぎない。