2020/06/16 07:58



私もなかにし氏も規模は違うが一つのリンクであり、このリンクは「node」(情報センサーの先端)になっていて、nodeはそれぞれにリンクを持ち、情報はこうした相互に入り乱れた周辺に行くほど濃度の薄い束になっていて、これらがまた全く繋がっていないようで、情報によって瞬時に繋がる即時連動性媒体となっている。

 

この事から例えば一つの菓子メーカーが菓子の情報を発信しようと考えた時、実際にはその何万倍もの菓子以外の情報の束に囲まれ、ここではその菓子メーカーは本業以外の所でも終始厳しい監視をされているような形態、本来個人や一企業に帰結すべき情報が露出した状態になる。

 

一方情報を検索する側は与えられた情報の精度を認識する時、その情報の支持者の多さをまず基準とする事から、その情報の支持者のリンクを見る事になり、ここに一つの菓子の情報から始まって世界情勢にまで繋がる情報の海の中へ入って行く。

 

そしてこうして一度情報の中に入って行った者は情報の海に取り込まれ、今度は他者の利害によって自身が検索される事になる。

 

多くの企業のリンクや問い合わせはもはや顧客獲得ではなく、自身が顧客とされる情報とされ、この中では顧客よりも他社販売商品情報やそれに関する接触リンク数が圧倒的に多い状態になるのであり、ここではより小さな情報、より劣化した情報の方が信憑性を持つ事になっていく。

 

世界的に自身の意思が薄くなり、他者の意見に便乗して責任を回避する傾向の原因はこうしたネット社会が持つ仕組みに起因していて、ゆえに企業のネット広告は徐々に当たり障りの無いものか、それで無ければ一つの商品に特化したスピードを持った広告なっていくが、これでも情報の海の恐さ、いつ自社が攻撃対象になるか予想が付かない。

 

ここに情報にトルクを付けることが考えられてくる訳で、情報は開示しながら入ってくるものを制限する、所謂非利便性をあえて設け、必要以外の情報を整理する考えが出てくるのである。

 

私は昔、自身が事業を始めた頃、4畳半の仕事場で、しかも玄関の戸が古くて開きにくく、これを人から指摘された事が有ったが、修さなかったのは金が無い事の他にもう一つ理由が有った。

 

即ち大した用事の無い者はこの段階で諦めて帰るのである。

本当に自分に用事のある者は戸を蹴破ってでも入って来るが、ちょっとした押し売りなどは戸が開きにくいだけでも帰っていく。

 

これは良いなと思っていたのである。

 

今やブログでも表紙代わりのブログと、メインページを設ける形式が現れるを見るに付け、これからは情報に如何にトルクを付けるか、また自身がこうして全く利害関係ない佐村河内氏の事に付いて何も思わず、意見を言わない合理性を忘れない事の大切さを思うのである。

 

バケツに山となっている砂の中に1粒混じる砂金、これを情報の本質とするなら、尤も効率的な情報の取得は初めから1粒の砂も入らず、砂金のみを取得する事を理想とする。

そしてこの理想的な情報の取得形態は、あらゆる情報から逃げる事を現実行動として行く事になる。

 

簡単に言えば情報から逃げ続ければ、本当に必要な情報のみが自分を追ってくると言う事で有る。



※ 本文は2014年2月6日、Yahooブログに掲載した記事の一部の加筆し、再掲載しています。