2020/08/04 08:32


2020年7月31日、鹿児島県奄美名瀬市の市街地では、原因不明の「霧」が発生し、通常視界確認距離が20kmほどの同地の視界3kmほどとなり、この現象は早朝に始まり、7月31日の夜まで続いた。
 
また同様の霧は奄美市瀬戸内町などでも発生しており、奄美市では広い範囲に渡って終日原因不明の霧に包まれたものと考えられる。
 
通常気温差から早朝などに霧が発生する事は珍しい事ではないが、この霧が広い範囲に渡って1日続く現象はとても珍しい。
気象学的も中々説明の付かない現象と言えるが、可能性としては黄砂の影響と言う事が考えられる。
 
しかし7月31日と言う時期、事前に低気圧の通過もなく風は穏やか、前日から当日まで降雨は全く観測されていない為、黄砂の粒に水蒸気が付着して発生する霧の可能性はとても低い。
 
午後3時頃からは同じ奄美市の和泊町でも、霧の為に視界は10kmまで下がったが、この事から霧は広範囲に持続的に発生していた事が伺えるのである。
 
当日奄美地方の気温は最低気温26度、最高気温32度で有り、昼間ここまで気温が上がりながら晴天の中、霧が発生し続ける現象はあまり例が無い。
気象庁でも原因は全く不明と見解している。
 
これと同じ現象が過去になかった調べていると、同じものではないかも知れないが、「大日本地震資料」記載事項中、1802年(享和2年)11月15日に発生した佐渡地震の記録が残っており、この中で「広島」と言う人が独自に地震の研究をしていて、彼が残した資料の中にこのような記述が有る。
 
今日、この地の者が私を訪ねて来て、不可解な天気に付いて尋ねた。
曰く、辺り一面朦朧(もうろう)として、四方見渡せず、霞が山の中ほどから下を覆い、しかし頂きは見えている。
雨とも言えず、風とも言えず、実に怪しい天気だが、こんな天気を見るのは初めてだ。
 
これに対して広島氏はこう答えている。
それは・・・、子供の頃父から聞いた事が有る。
「それは地震が来る時のしるしだ・・・」
 
この後、2人は慌てて宿に帰り、宿の主に避難するように告げ、自身らも急いで山から離れるように逃げて行った。
そして4里程(16km)の道を走って逃げている途中、M6・6の地震が発生し、彼らが泊まっていた宿は山崩れで押し潰されてしまうのである。
 
またここからは日本地震予知クラブ初代会長、亀井義次(かめい・よしつぐ 故人)氏が1996年7月に発行した「地震予知いろはがるた」の中の記述だが、前出の広島氏はこの佐渡地震の後、佐渡の金山を訪ね、そこで坑夫達から聞き取り調査を行っている事が記されている。
 
その中で広島氏は、この間の佐渡地震では金山でも坑道が崩れ、多くの人が犠牲になったのではないかと坑夫に尋ねるのだが、意外にも、坑夫は全員地震前に避難していたと答えるのである。
 
坑夫曰く・・・。
「大体地震が有る時には1週間も前から地面の気が上がって、坑道全体が霞に包まれてしまう」
「この前の時(地震の時)も地面の気が上がって、坑道の中は腰から上が見えなくなったくらいだ」
「地震の3日前から1人だって坑道には入らないさ・・・」
 
何でもかんでも地震に繋げる事は避けねばならないが、過去の事例に近いものが有るときは、その時に起こった事象を一応は警戒する必要が有るのかも知れない。
奄美地方の霧は、もしかしたら付近に発生する火山噴火、大地震の前触れ現象の可能性を完全排除できない。
 
夏の真昼の霧で他に近いに現象としては、高温に拠って植物が排出するトルエン成分の霞が有るが、この霞は視界を半減、或いは10分の1にまで下げるほどには至らず、しかも遠くからは青く見えるを倣いとする。
 
何も起こらねばそれで良いが、周囲に変わった事、説明の付かない現象が発生した時は、それが物理的に説明が付かない事を確認した後、注意を怠らない事が自身と家族を守る、一番基本的な防災意識と言うものでは無いかと思う。