2020/09/26 20:19



モノネガウィルス目のウィルスは、分節しないマイナス鎖RNA形態が多くなるが、一般的にこの目のウィルスは人、霊長類に対する感染能力が突出している。
麻疹、狂犬病などを初め、ここ100年の内に発見され始めた新しい感染症の大部分がこの目に含まれ、エボラ出血熱もモノネガウィルス目である。
 
1976年8月26日、コンゴ民主共和国のエボラ川付近で、44歳の男性感染者が死亡した事から発見され、同地の名称を取ってエボラ出血熱と命名されたが、このエボラウィルスにはその後形状の違いから5種が発見されていて、現在ではエボラウィルスは正確にはエボラウィルス属となっている。
 
感染して一番死亡率が高いのは、一番最初に発見されたエボラウィルスである「ザイールエボラウィルス」で、感染後の死亡率は90%と推定され、その同じ年にスーダンで発生したエボラ出血熱のウィルスは、ザイールエボラウィルスとは違った形をしていた為、スーダンエボラウィルスと命名されたが、このエボラウィルスは感染後の死亡率が40%~50%だった。
 
またレストンエボラウィルスでは霊長類への感染は認められるものの、人体は抗体を形成しながらも発症とその症状が認められない事から、このエボラウィルスでの感染死亡率は今のところ0に近い。
 
この事からエボラウィルスに関しては、その当初遺伝子変化速度の速さが指摘されたが、その後の研究でエボラウィルス属の遺伝子変化速度は、インフルエンザウィルス90分の1から150分の1程の遅い変化である事が判明し、比較的遺伝子変化速度が遅い劇症性肝炎ウィルスとほぼ同速度ではないかと言われている。
 
だとすれば1年以内に同属2種のウィルスが発見され、20年の単位で5種の同属ウィルスが発見された事、その最初の発見時のウィルスも現存で猛威を振るう現実を考えるなら、このウィルスは比較的古くから存在していた可能性が有り、人への優性感染能力に捉われるなら、精々が10万年の単位だが、ウィルスの有り様としては最低でもネズミが発生した時期には、その半分の性質を持つウィルスが存在していたと考えるべきなのかも知れない。
 
更に感染しても発症が明確になっていないレストンエボラウィルスだが、これはフィリピンのカニクイザルに感染していたが、宿主の想定が出来なかった。
つまりは自然界を枕にしている可能性が有ったが、このウィルスに感染したサルはアメリカとイタリアに輸出された事が解っているが、その後アメリカでもイタリアでも自然界に存在した形跡は見当たらなかった。
現在レストンエボラウィルス以外のウィルスの宿主はコウモリで有る確率が高いとされているが、ウィルスではないものの大腸菌や溶連性ブドウ状球菌などは、我々の周囲に普通に存在してる細菌であり、症状を発しなくても同属に自然界を宿主とするウィルスが存在する以上、他の劇症性ウィルスも同じかも知れない可能性を考慮する必要が有る。
 
更に現段階では推測にしか過ぎないが、レストンエボラウィルスを考える時、「眠っているウィルス」である可能性も考えられる。
つまりは数千年と言う単位で土や動物体内に繰り返し潜んで、何かの条件が揃った時点で復活し、感染を広げる可能性も有り得る。
ウィルスよりは遥かに繊細な機能を持つ植物の種でも、数千年の後に復活出来るものが有る事を考えるなら、同じ事が無いと考える方が合理性を欠くように思う。
 
唯、この場合最も大きな因果律は温度に有る事が考えられ、過去の長い地球環境を生き抜いてきたウィルスが再生する条件は複雑なものかも知れない事、或いは空気中の窒素、酸素濃度、二酸化炭素の濃度などでも再生する可能性があるかも知れない。
 
また我々はエボラウィルス感染症状で多量の出血を想起するかも知れないが、実際のところ感染に拠る出血事例は一部であり、その症状は風邪の症状に近く、奇しくも2012年から始まった感染の流行に対する投薬効果として、風邪薬が有効であるとの非公式情報が出ているが、これは1976年のザイールエボラウィルス流行時、既に言われていた事実だった。
 
加えてエボラウィルスの宿主はコウモリとされているが、インフルエンザウィルスの初期の感染動物は水鳥と言う点を鑑みる時、同じ翼を持つ生物でありながら、鳥は卵から生まれ、コウモリは哺乳類であると言う決定的な差と、哺乳類全体の4分の1を占めるコウモリの生息数を考えると、何か引っかかるものを感じる。
 
それとこれは重要な点だが、現在のところ空気感染の確率は低いとされているが、1976年の流行、1995年の流行、2000年の流行時でも防護服を着ていながら医療従事者が感染する事例が出ていた。
 
エボラウィルス感染症状は高熱、頭痛、腹部の痛みなど風邪の症状と近いものの、飛沫を大きく飛ばすような咳やくしゃみを伴う事例は少ない。
この事から飛沫が空気中に拡散され、それで感染すると言う可能性は意外に低いように思われ、だとすれば防護服を着用している医療従事者の感染は説明が出来なくなる。
エボラウィルス感染者の死亡率は他の感染症に比べても非常に高く、この為にレベルの高い隔離政策が採られる事から、ウィルス感染キャリアは不当な差別や人権の侵害を受け、それゆえに自己申告が困難な状況が生まれる。
 
おそらく現段階でも未申告のキャリアを含めると数万人の感染者が存在するかも知れない。
人々の恐怖心が患者に対する過剰な隔離思想を生み、その事がエボラウィルス感染のアンダーグラウンド化を招く危険性は極めて高い。
 
そしてこの感染に対して日本だけが安全である保障は無く、フジフィルムの薬が全ての人に対して有効かどうかも解らない。
ウィルス感染の基礎的な防御策はインフルエンザと同じで、接触を控える事に尽きる。
現段階から次のステージに移行し、キャリアの隔離が困難な状況が発生してきた場合、我々が一番最初に採る防御策は霊長類との接触を必要最小限に控える事しかない。
 
またエボラウィルスの人に対する優性感染力は、どこかの時点で霊長類や人間の進化の過程に影響を与えた可能性があり、人間が思いも寄らぬ繊細さを持っているような気がする。
それゆえエボラウィルスで人類が滅びる事は無いと考えるが、一定規模のパンデミックは有り得る。
 
自身の感染して死にたくないと言う基本的な感情と、社会に措ける人としての患者に対する慈しみの狭間で人の心は揺れるが、感染した人を救う事がエボラウィルスを克服し、如いては自身を救う道で有る事を忘れてはならず、これは命がけの個人と社会との葛藤、究極の自由の衝突で有る事を認識しておく必要がある。
 
地球にとって人類は、人類が考えるほど重要ではなく、特段の恩恵をもたらしている訳ではない。
それゆえ災害や危機は社会を侵食し、それによって個が試され、社会の分岐点になる。
恐怖心から感染者に対する配慮を失えば、次の段階で社会は大きな何かを失う。
 
今また自然の普通の営みによって、感染と言う脅威と、我々自身が概念する社会、人としての在り様を試されている。
負けてはならない・・・。


※ 本文は2014年10月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。