2020/10/04 07:54



「Carl Gustav Jung」(カール・ユング)の仮説に、従来から存在する法則原理から発生する因果律以外の、非不規則性、非物理的因果律に拠る「事象の集合」、いわゆる偶然の一致に関して、人間が持つ無意識の意識集合がコミュニケーションを通して実現化するとした箇所が有るが、偶然の解釈はそれが非規則性、非物理的原理で有るなら、ここに第二の規則性や第二因果律を応用する事の意味を私は見出せない。
 
この意味に措いて哲学の世界では、偶然は偶然に非ず、全て必然であるとしているとしているが、逆にこうした事を言いそうな物理学の世界は不確定性理論によってラプラス運命論が否定され、未来は決定されていないと言う立場を取っている。
 
しかし近年、反物質などの発見により、確定性未来の可能性も出てきている為、一概には言えないが、多くの者が偶然の中に必然を観る中で、私は必然の中に不規則性が観えるような気がしている。
確定性未来も過去も現在も、全て同時発生していると仮説して措こうか・・・。
 
3分の1の確率は実際には有り得ない。
 
何かを3回行って、その内1回が必ず想定通りの結果を生む事象は存在せず、3の倍数で1を乗じて行けば、例えば9回物事を行って確かに3回は同じ結果が出るが、その3回は偏っている事から、数字の連続の中での確率は揺らいでいて、なおかつ数字の値が大きくなればなるほど数値自体が存在の不安を発生させてくる。
 
人類は未だに数の際限を見い出していない。
 
この事から数に関しては容積が解っていない為、全ての確率は長さを区切った確率となるのであり、その確率は現在自分がその確率の時に在ると言うのが正しいのかも知れず、前出の3分の1の確率の中には他の全ての確率も存在し、他の全ての確率の中にも3分の1は平均値として存在する。
 
また9回の内3回起こる事は、最初の3回で全て起こるかも知れず、或いは一番最後の3回に集中するかも知れない。
この事は何かの必然性を示しているのではなく、きっちり3回に1回現れるとしたら、そこに規則性、必然性が在るのであり、むしろこうして偏りが在る為に偶然性が証明されていると考えるべきなのだろう。
 
つまり我々はこうした際限の無い、あらゆる確率が混沌とした中で暮らしていて、生物の行動確率は全て二者択一になっている。
 
動くか止まるか、行くか行かないか、やるかやらないかの組み合わせなのであり、この点で言えば生物の基準確率は全て2の倍数分の1であり、この2の倍数分の1が混沌とした確率にシンクロする確率は、最大で4分の1、2の倍数と言う事を考えるなら、シンクロしない確率の方がシンクロする確率より低いのかも知れない。
 
偶然の一致、「シンクロニシティ」は人間が意識できるか否かと言うものを含めると、我々の周囲で非シンクロニシティ以上に発生していて、この中でも自然に存在する混沌の偏りとシンクロした場合、それは信じられないような偶然の一致になるのかも知れない。
 
そしてこうした偶然の本質は単なる事象の集合でしかないが、トランプゲームでスペードのエースが出た時、片方はそれで大金を掴み、一方はそれで破産すると言った具合で、個人の事情、環境に拠る人間の二者択一の組み合わせによって、幸運と不運のシンクロニシティに分かれていく。
 
偶然の一致により大金を得たり、或いは自身の恋愛が成就する場合と、偶然の一致により大金を失い、思いを寄せる人と別れなければならない場合が、人間の二者択一の組み合わせの中で発生してくる。
 
こうした程度、濃度の差は有れ、人間は常に偶然の一致、シンクロニシティの中に在って、それでも幸運なシンクロニシティに在る者は良いが、不運なシンクロニシティに在る者はどうするか・・・。
 
シンクロニシティは宇宙が持つ確率の混沌、偏りと、人間の2の倍数分の1の確率の同調で有ることから、少なくとも今の反対を行えば悪いシンクロニシティは半減する事になり、一度半減の回転、偏りが始まると、先に行って大きく変化してくる事になる。
 
間合いの悪い人間と言う者が存在するが、これは軽度の不運シンクロニシティと考えるべきで、何時も自分が出かけると電話がかかってきていたり人が訪ねて来る場合、その反対に自分が訪問すると必ず相手が留守の時が多いなどの場合は、大体同じ傾向や時間、思考回路で行動が為されている事が多く、これを変えてやれば変化が出てくる。
 
何時も午前中に出かけていた人なら、これからは出来るだけ外出は午後にするとか、何時も行動が遅い人はこれからできるだけすぐに行動する、その反対で即決で物事を決めて失敗している人は一晩考えるようにするだけでも先が変化してくる。
 
これまでの悪い流れが少しずつ改善されてくる可能性が出てくるのである。
 
またシンクロニシティの基本は変えることが出来ないが、人間はこれを注意によって緩和することも出来る。
人間の脳は目覚めてから一定の時間以内は冷静な判断をし易く、逆に就寝前の思考回路は鈍い。
 
この事から早朝の行動を増やして夜間の行動を減らす事でも、悪いシンクロニシティを遠ざけることが可能であり、仕事をする場合は仕事をしている人の所へ行かねば成立せず、遊ぶ場合は遊んでいる人の所へ行かねば成立しない。
 
遊んでいる人の所で仕事の話などしても無意味なのである。
 
更にシンクロニシティは確率の問題なので、人間の場合、あらゆる確率は人間相互の関係の中に在り、この意味ではより多くの人間との接触こそがシンクロニシティの拡大に繋がり、このシンクロニシティの中でも幸運のシンクロニシティを多く得る為には目的以外のシンクロニシティを避ける事が必要になる。
 
夜遊びをしていれば、それ相応にリスクが発生し、そうしたリスクが多い者が集まる場には悪いシンクロニシティが発生し易い。
 
自身の心の闇、憂さを晴らそうと出かけた時は、その場に集まる者が皆同じ動機で集まっている可能性が有り、ここでは暴走した自我がそれぞれに出易く、そこから不運なシンクロニシティが始まる確率が出る。
 
何か面白い事を探して、或いは時間が有るからでかけたであろう祭りにはそうした人が集まっている。
時間が無い中、無理して帰省した時は、高速道路を走っている車の運転手の全てが自分と同じだと思った方が良い。
 
出来れば必要の無い人間との接触、自我が暴走しそうな場へ行く事は避けた方が良いが、全てのシンクロニシティは人間に取って幸運と不幸の双方向性を持っている。
勤勉である事、人を慈しむ心を忘れない事、誠実である事が、幸運のシンクロニシティへの入口かも知れない。
 
ちなみに「怠惰」はシンクロニシティに限らず、あらゆる人間にとっての不幸の始まりと言うべきもので・・・・・