2020/10/04 20:50

権威には色んな種類が在るが、大別すると国家権威のような大きなものを「マクロ権威」、利益に関するものを「実質権威」、自治会長が持つ権威のようなものを「任意権威」、会社内の地位などは「ミクロ権威」、そしてもう一つ「偏狭権威」と言うものが存在する。

 
「偏狭権威」とは狭い社会で特殊で在りながら、それが特殊ゆえに国家権威に匹敵する大きさを持つ権威を言い、例えば伝統芸能や伝統技能、文化、芸術、学術が持つ権威を指す。(偏狭権威は記事執筆者造語)
 
元々こうした権威はその分野の中でしか発揮できない権威なのだが、その特殊性に拠って余人には計り難い世界を持つ為、一般的には深く理解できない事が、大きな権威となってしまっている。
 
広義では宗教もそうだが、僧侶や神官が持つ権威は何の根拠もないが、権威として存在し、お茶や能、歌舞伎などの伝統芸能も、それの本質的価値が問われないまま、権威となっている。
同様に学術の世界も、それが一般的ではない為、特殊性に拠って権威が生じ、この場合の権威は非常に狭い世界で芋を洗うようにひしめいている事から、端末に対する権威効果はとても大きくなる。
 
歴史的背景を例に取るなら、豊臣秀吉は貴族でも皇族でもない百姓の出自だった事から、その権威を高めるため、文化が持つ権威を使おうとして「千利休」を取り込もうとしたが、文化が持つ自由独立と言う壁にぶち当たり、結局これを諦め千利休に切腹を命じる事になる。
 
文化、芸術、学術と言うものは特殊性と独立性を権威としている間は、国家権威を担保するくらいの力を持つが、この権威は暴力と利益に対しては非常に弱い。
 
また、しばしば国家権威はこの偏狭権威を取り込もうとしては躓く傾向に有り、近代以降、現代社会では偏狭権威の自由独立を担保するにあたり、専門的知識が無い事から、偏狭権威を、それを支える団体の推薦と言う形で選出してきた背景を持つ。
 
日本学術会議のメンバーは、この会議を頂点と仰ぐ個人や小さな団体が所属する、大きな団体の推薦に拠って選ばれ、政府はこの推薦通りに、任命と言う儀式だけを担当する事で、学術会議の自由独立性を保証してきた。
 
この形式は他の、例えば人間国宝、芸術院会員、文化勲章などの選定方式も同じで在る。
政府や行政は基本的に偏狭権威が持つ特殊な能力、知識を評価するまでには及ばない為、その専門家の中から推薦してもらう形式で偏狭権威を付与してきた訳だが、この選定方式は色々問題を持ちながらも、他に良い方法が無いと言う理由から、今日まで見直される事無く継続してきた。
 
そしてこうした任命の形式は、明治時代の立憲君主制下に措ける「輔弼事項」(ほひつじこう)に対する保証、と言う形を模倣したものと言える。
 
具体的にどう言う事かと言えば、天皇は民衆の意思を尊重する為、国会審議を通過した人事、或いは内閣の組閣に対して任命権を持つが、政府案に対して任命を拒否できないと言う事で有る。
 
明治時代の輔弼事項では実質から言えば、天皇は拒否する事が出来た。
しかし、国会や内閣が民衆の総意で有るとするなら、民衆の総意を尊重する立場から、任意に拒否を差し控えたのだが、この伝統は太平洋戦争終戦時まで継続し、それ以降は法律上も天皇は内閣の組閣に対して、任命を拒否できなくなった経緯を持つ。
 
これと同じ原理で芸術、文化伝統、学術に対する独立と自由を保証する為、天皇に対する輔弼事項を専門分野に所属する団体に置き換え、この輔弼事項を尊重する事で、政府や行政が芸術、文化伝統、学術の自由独立を担保する形が採られてきた。
 
ただし、この偏狭権威は暴力やマクロ権威を持つ政府、行政からは小さく見えるし、現実にも一般社会とは隔絶された社会の中での事だから小さい。
 
しかし自由独立、或いはその国家の最先端技術、文化伝統と言う形の無い、しかも歴史的な大義を背負った権威である為、小さく見えながら、実は地面から出ている部分は小さな石ころでも、その下は大きな岩石になので有り、これを蹴飛ばすと足を怪我する事になる。
 
菅義偉総理は、どうもこの辺を理解していなかったように思う。
権威とは言っても国際会議に出られるとか、大学の格付け程度の話で、大した事はないのだが、こうした特殊な世界は狭い中でひしめき合って競合している。
 
その世界の中ではとても大きな権威、飯が食えるか、食えないかと言うところまでに通じる権威となっていて、しかも一般人には理解し難い世界で、また通常生活を送る民衆に取ってはどうでも良い事でも有る。
 
誰がその権威に相応しいかを計るとき、政府や民衆ではそれが計れない。
団体の推薦が完全なものとは言えないかも知れないが、団体の推薦以外、今のところ学術の独立と自由を保障する方法が無いのである。
 
こうした事情の中で、菅義偉総理は専門団体が推薦した、日本学術会議のメンバーの一部だけを任命しなかった経緯は、無知蒙昧を露呈する結果となり、加えてこうした会議機関などに振り分けられる予算など、たかが知れたものでしかない。
 
せいぜいが10億とか20億円の話であり、花見で数億円使いました。
使えもしないマスクで数百億円使いましたなどの話に比べたら、どこが問題なのかと言うレベルのものだ。
 
東京のコロナウィルス感染の経緯、日本経済の沈降、外交問題など他に優先課題は沢山ある。
何の魅力も無い国連演説を見ても解るように、これから先日本をどう牽引して行くのか、それを国民に示す方が先だっただろう。
 
偏狭権威など放って措いても何ら支障もない事に首を突っ込み、これから先大きな敵を沢山作り野党からも追及される、その事案の予算が10億くらいの話で、本当にバカバカしい話である。
 
今からでも遅くない。
さっさと残りの日本学術会議メンバーを任命して、もっと大きな予算が絡む事案の解決に心血を注いで欲しいものである。