2020/10/11 17:57

元々政変と天変地異の関係は、例えば元号、昭和とか平成とか言う名称だが、これが変更される機会となるのが天変地異だった歴史が存在している。
 
つまり悪い事が有ったら「仕切り直し」の意味を持っていたのだが、逆に天変地異によって遷都せざるを得なくなるような状況も存在し、或いは政権内部の権力闘争によって敵を徹底的に追い詰めた者は、後年発生する天変地異に自身の所業の恐ろしさを重ね、更にこれは太平記などでもそうだが、少し前に発生した天変地異を後の政変に重ねるなどした。
 
こうした傾向は世界各地の歴史に見られるが、一方天変地異は平均で4、5年に1度は発生していて、人間は決して安定した状況では過ごせず、政変や権力闘争も3年から5年の間に1度は必ず激化するものと観る事が出来る。
 
しかし政変と天変地異が重なり易い事もまた一方の現実であり、江戸から明治の変遷期、関東大震災付近や太平洋戦争末期などこの150年ほどでも政変と震災の一致するケースは枚挙に暇(いとま)が無い。
 
関東大震災の前後では1923年8月24日、時の内閣総理大臣「加藤友三朗」が癌の為死去し、内閣総理大臣が不在のところに9月1日、関東大震災が発生する。
外務大臣の「内田康哉」が臨時総理を兼務していたが、この緊急事態に急遽9月2日、「山本権兵衛」(やまもと・ごんのひょうえ)内閣が組閣される。
 
だが、平成に入って大変興味深い所なのが「安倍晋三」内閣であり、実はこの内閣は震災内閣といっても良い程強震と縁が深い。
第一次安倍内閣が成立したのは2006年9月の事だったが、この翌年の2007年3月25日には能登半島地震が発生し、同年7月16日、ちょうど第21回参議院通常選挙の選挙運動期間中に中越沖地震が発生する。
 
その後自民党は参議院選挙で大敗し、大臣の辞任問題や慰安婦発言、自衛隊の活動方針などの問題で自力処理不能に陥った安倍総理は、虚ろな目をして病気を理由に内閣総理大臣を辞任する。
 
そして特効薬で復活した第二次安倍政権が成立するのは2012年12月26日の事だが、2014年11月22日、ちょうど衆議院を解散した翌日長野県北部が震度6弱の強い地震に被災するのである。
 
この地震の規模と安倍総理の器と言うか、粒の小ささに奇妙な共通点を感じてしまう。
政変に応じた天変地異、天変地異に応じた政変と言うか、そうした事を思ってしまう。
 
安政期の東海地震、南海地震、江戸地震の規模はまさに日本の鎖国制度が大きく変化していく時に発生し、関東大震災は戦争へとシフトしていく日本の始まりだった。
太平洋戦争を挟む1944年南海地震、1945年三河大地震、1946年南海地震と、戦争と言う激動に比例するように大きな地震が発生していた。
 
また自民党と社会党と言う水と油が連立内閣を作った村山内閣が成立したのは1994年6月、その翌年の1月17日に阪神淡路大震災が発生し、万年野党の民主党が政権を奪取し、自重で動きが取れなくなった政治的混乱の極み、2011年3月11日には東日本大震災が発生している。
 
今回安倍総理が衆議院を解散した直後、翌日の11月22日に長野県北部が強震に襲われた事は偶然の一致だろうが、前回の参議院普通選挙期間中の中越沖地震発生を考えると、何か奇妙な感覚を憶えるのは事実だ。
 
この総選挙では、他に方法が無い事を理由に金融緩和政策と増税を続ける安倍政権は、おそらく選挙準備が間に合わない野党各党に対し、そう大きくは負けないだろう。
半ば開いた口が塞がらない民衆は完全に総選挙に対する関心を失っていて、ここで投票率が下がり、組織票を持つ自民党と公明党が大勝できなくても、負けなかったくらいのことにはなる公算が強い。
 
そして現状の経済政策を続けると、貧富の差は拡大し、民衆は不景気の上に増税と生活費の増大に喘ぎながら体力を失い、やがて気が付いた時には政府は打つ手が無くなくなっている事になるだろう。
「第二次安倍政権はいずれ虚ろな目をした辞職」を迎える事になるだろう。
 
もしかしたら関東地震や東海地震と安倍政権の崩壊、日本経済の破綻が重なるかも知れない。
日本人は来年からの4年間、毎年のように大震災以上の生活困窮死亡者を出し、国民の希望は全て奪われるだろう。
 
自然の天変地異以上の被害を国民は被るだろう。
 
聖書に記された「偽りの預言者」「偽りの救世主」とは、何かそれらしい風体の者を指していたのではなく、「愚か者」を指していたかも知れない。
その愚か者を選んでしまう、選ばざるを得ないところに人間の「業」、或いは同じように避けられないとしたら、自然の天変地異も何も変わらないもののように見えてくる。
 
日本はおそらく一つの避けられない終焉を迎えるだろう。
安倍内閣の解散総選挙と自民党、公明党の衆議院選挙の勝利は「国民の絶望」にしかならない。
 
貧しさからの脱却は消費を抑えて貯蓄する事だが、金融緩和はこうした蓄えをも政府が吸い上げる政策であり、消費する事が美徳なのではない。
景気が悪くてもしっかりとした蓄えを持ち、その蓄えが保全される所に安定や幸福感が存在する。
 
景気が良くても、金に追われてハツカネズミのように車輪を回している事を幸福とは呼ばない。
むしろそれは「不幸」と言うものだろう。
 
日本、日本人はこれから先、必ず政変と天変地異に見舞われ、それはこれまでの我々の価値観や意識が大きく変わる時が近付いている事を示しているように思える・・・。

 

 

[本文は2014年11月25日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]