2020/11/20 20:24



何か物を買った時、その代金の支払いは原則同時交換だが、取り引きの形態が安定し尚且つ相互に信用が発生すると、代金の決済に時間的幅が設定される状況が生まれて来る。

 

これは物を買った者、それを販売した者相互が決済の効率化を求め、その効率化に措ける時間的利益が一致するからであり、この場合の「信用」は個人だけではなく、その個人が所属する団体、会社などにも及ぶ。

 

2005年に「三菱UFJ」の子会社となったものの、1960年代、既に割賦販売の形態を開始していた日本信用販売株式会社、「日本信販」を創業者の「山田光成」から引き継いだ「山田洋二」は、「30歳、妻と子供がいるサラリーマンは金を貸せる信用がある」としたのは、こうした団体や会社から更に状況的信用と言うものを想起したからに他ならない。

 

だがこうした発想の本質は日本の歴史を鑑みるに極めて伝統的な思想であり、例えば江戸時代、どこかの大工の棟梁のところで働く事になり、そこから仕事用の法被(はっぴ)が支給されれば、その法被に染め付けてある家紋で米や酒などを「付け」で買う事が出来た。

 

大工の棟梁と言う組織が持つ信用で個人の信用が担保された訳だが、ここでの支払いは盆暮れと言う事が暗黙の了承事項となっていて、従ってお盆と大晦日は集金する者、それを支払う者が金の決済に措ける共通認識を持つのであり、この形態を認証性通知、認証性決済と言う。

 

信用が付与されると同時に、漠然としたもので有っても決済の形態が決まってくる仕組みで有って、結婚などもこうした認証性通知の一部を担保する。

 

1989年頃までの日本では男性が結婚すると、それだけで銀行の融資限度額が200万円引き上げられ、同額が女性にも適用された。

結婚と言う社会的信用が個人を200万円分担保したのだが、この場合に措ける結婚の概念は法的なものより慣習が優先される。

 

つまりは婚姻届が出されていても、それを社会が認識していない場合は適応されない形態で、融資する銀行が婚姻を証明する書類を求めたりはしない。

地域に噂話として伝わってるだけでも事は足り、融資担当者がその婚姻を知っているだけでも良かった。

 

この信用は婚姻と言う法的な信用ではなく、その婚姻を地域社会や親族が認めている、これを担保としている訳であり、こうした形態は物品交換を第一の決済とするなら、第二に通貨の決済が在り、第三の暫定決済として「信用」と言うものが成立していたと考えても良いくらいのものだった。

 

同様に認証性決済の一つの完成形態と呼ばれるものが、越中富山の「売薬」制度である。

年に2回ほど薬箱の薬の入れ替えと、その代金を集金する制度は販売と決済が時間経過を設けて同時決済される仕組みで、この形態は大変効率が良く、尚且つ集金業務案内の必要が無い。

 

その地域や村に、ふらっと売薬業者が現れれば事は狭い地域ですぐに噂になって伝達され、皆が金を用意して待っている状況を生むのであり、一般的に文書化された案内状などは大した関心が示されないが、誰かがヒソヒソと話している噂話が広がる速度は驚異的なスピードがある。

 

現代社会に措けるインターネット上の「口コミ」もこうしたものが原型なのだが、如何せん意図的な宣伝含みの噂話、いわゆる「やらせ」が多くては噂話としての迫力に欠ける。

噂話が信用に繋がるには「狭い地域」と言う限定された条件が必要なのであり、近隣住民のコミュニケーションの深さが無ければ全体としての信用は得られない。

 

そしてこの限定された狭い地域の信用とは、そこで暮らす個人が地域の慣習や道義を尊重する事で形成され、同じような形態が全国各地で存在して全体に措ける小さな社会の信用性が担保され、個人の信用が担保される。

 

だが一方こうした形態は、地域の慣習が法的整合性の事実上の上位に存在する形態である事から、地域慣習に従わなければ地域そのものからはじき出される事になり、これが「村八分」(むらはちぶ)と言う地域が個人に対して行う決定的な差別に繋がるケースが出てくる。

 

先頃栃木県の小さな行政区で発生した事件、ここではいじめを受けていた生徒の母親がそれを申告した為に、いじめを行っている子供の親からLINE上で差別を受け、相次いで2名の母親が自殺したと言われているが、同地域では未だに住民が口を閉ざして自主的緘口令(かんこうれい)に徹しているようだ。

 

これなどはまさに地域コミュニケーションの負の部分と言えるが、既にバブル経済の崩壊と共に地域が持つ信用が個人に分散されてしまっている今日、地域が個人に付与できる恩恵は皆無となっている。

 

逆にその地域を守ろうとする所から、個人が地域に対して行わなければならない負担が増加し、狭い地域は守ろうとする考え方が発生した時点で完全崩壊していると言う事になる。

 

もはや「信用」と言う観点では、地域も中央政府も個人もあらゆるものが担保を失い、ネット社会では善良な者より詐欺が横行し、認証性決済など過去の哀愁となってしまった今日、正義など語るに虚しいが、それでも私達一人一人が自身の信じる正義を実践し、やがてそれが信用に繋がり、この信用が大きく広がって行かないと経済の再建は難しい。

 

「信用」は経済の基本中の基本なのである。


[本文は2015年7月26日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]