2020/12/14 17:37



日本で「わん」と言う言語を統一的概念で漢字の表記を起すと「椀」と言う文字が最初に表記される。

 

これは日本の「わん」が一般的に漆器などの木製品を主流としてきた為だが、勿論陶器などの碗も長い歴史を以って存在し続けてきたが、一般的な、一番大きな存在感を持って日本に存在していたのが木製椀だったと言う事である。

 

「わん」と言う言語はその作られている素材に拠って漢字の表記が異なり、木製のものは「椀」、陶器や磁器、ガラスを素材とするものは「碗」、金属で作られているものは「鋺」と表記されるが、この形の起源は両手で落ちてくる水を受ける動作を起源に持ち、従って自らの命を繋ぐ液体、或いは準液体をこぼさないように「おし戴く」事を表している。

 

「椀」の基本はその行為に有り、器物の材料はこれに対する「従」である事から素材ごとに漢字表記が異なるのである。

 

これと比較して西洋の皿などは、種類はあっても言語表記は統一表記言語が一つ、または皿の深さに拠って表記言語が異なる。

つまり西洋の皿は素材ではなく形に拠る区別が為されている。

 

中国や日本の「椀」は基本的に液体かそれに近い状態を根底に概念されているが、皿は固形物を受け取る形をその始まりとしていて、例えば干し肉などを受け取る時、人間の両手は水を受け取る時ほど深さを求めない、両手を広げた状態でも受け取る事が出来る、或いは布を広げてその上に乗せてもらうと言う形になる。

 

それゆえここから中国や日本では液体食文化、欧米では狩猟に拠る肉などの固形食文化が根底に有る事がうかがい知れるのである。

 

また現段階で日本で一番多く使われている椀の素材は陶器であり、この点で言うなら椀の漢字表記が「碗」とならねばならないが、一番大きな統一概念が「椀」で有り続けている理由は、日本に措ける陶磁器製の碗の普及が明治以降の鉄道などの流通網に拠って為されたからで、それ以前は木製の漆器の椀の価値観が大きかったからである。

 

陶器などの器物は本質的には運搬に適さない。

重い事、運んでいる途中で割れてしまうリスクが有り、この為に各地域で生産されその地域で消費される事を基本としてきたが、その美術的価値が権力者に拠って認められた場合などは膨大な費用を要して運搬される事になり、ここに産地が依存する形態が発生すると、権力者の変遷に拠って産地が興亡して行く。


つまり陶器の場合は産地に拠って区別が可能だったが、木製品の漆器の場合は、勿論産地に拠っての区別も存在しながら、その使われている「漆」と言う素材に対する理解が余りにも一般化していない為、産地に拠る区別の上に「漆」に統一された全国的概念が存在し続けてきた。

 

「漆」と言う余りにも扱いにくい素材ゆえに一般的理解が曖昧になり、この曖昧さをして「漆器」と言う大まかな概念が発生し、それが安定した価値観が長かった為に、現在も漢字表記の統一概念が「椀」となっているのである。

 

日本文化は大陸文化を一流とする。

安土桃山時代に日本の造形、美意識、色彩感覚の全てが出揃うが、これらは全て中国大陸文化が朝鮮半島を経由してもたらされ、ここでは大陸文化こそが主であり、それが日本で発展した形態は「亜」と言う感覚が持たれた。

 

そして中国大陸では既に生産素材の難易性から漆器が衰退し、容易素材の陶磁器生産が発展した事から日本に入ってくる造形や色彩感覚はまず陶器から始まり、それを漆器が模倣する形態が発生してくる。

 

一方日本の政治形態は平安貴族支配から武家支配の封建制度に移行し、ここで発生してくる儒教的儀礼偏重主義は懐古重視を根底とする事から儀式祭礼用には、それ以前の文化である漆器が重用され、この文化形態は封建制度の終了時期、第二次世界大戦前まで連続する事になる。

 

一般的に封建制度は鎌倉幕府や徳川幕府などに代表される武家制度だが、こうした制度はそれが終了しても民族的意識から駆逐されるには時間がかかり、少なくとも日本が封建思想文化から開放されるには50年から70年の歳月を要し、この決定的だったものが太平洋戦争の敗戦と言う事になる。

 

中国大陸、または世界を見回しても日本の椀の形ほど深く両手で水を受ける食器形は少ない。

日本の椀を深くしたものは封建制度の権威の大きさだったかも知れないが、「椀」の形は或る種日本独特の形であり、この形の価値観が長く継続された来たものが、朱塗りの漆の椀だった。

 

それゆえ現在では既にこうした感覚も廃れてしまったかも知れないが、「わん」と言えば「椀」なのである。


ちなみに茶碗と言えば茶道の抹茶碗の事を言うとする者も在るが、これは事の正確性に欠ける。

茶が日本に入って来ていた時期は、文献からも律令制度時代には確認されている。

この事から茶碗は律令制度国家時には存在していたと見るべきで、後に日本で茶の湯文化が成立してくるのは古くても鎌倉時期である。

 

この事から茶碗と言えば茶を飲む碗の全ての総称であり、茶道のみが茶碗の主流を主張する事は適切ではない。

 

そしてこれは諸説解釈が有るが、昔の塗り師の中には漆を塗る前の木地の段階の碗を粗雑に扱った者がいた。

これは何故か・・・。

彼らは音を聴いていたのであり、粗雑に放り投げるように椀を重ねていく事で、割れている椀を探していたのだった。

 

またこの程度で割れる椀ならば、使っていれば遠からずその椀は割れてしまい、それを見過ごして漆を塗ってしまえば、完成してから割れたのでは補修しても強度を得る事は出来ない。

割れるものは一番最初にまず割って、それを漆でくっつけて紗を張って補強しておけば後に割れる事は無い、最も安定した強度を持つ椀となるからである。

 

事の初めに優しいものは、それが持つ本質的「劣」を見逃す。

「劣」は早くに陽の光に晒されれば「強」に転ずる。